若き経済学者のアメリカ ≫ Class

ポーランドのヨハン

この5月に卒業する学部生の中に、とくに仲良くしてきた一人がいる。彼は学部3年生のうちから大学院の経済学コースワークを取り優秀な成績を収めた俊才だ。数学のテクニックに長けるのみならず、実際の経済政策や世界の経済史に対する関心も高く、卒業論文ではアフリカの経済成長についてまとめていた。毎日夜遅くまで図書館に篭り、ストイックなまでに勉学に勤しむというタイプだ。
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2010/05/12(水) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

新学期も始まり

また集中して勉強してきます。
それでは、ごきげんよう。


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2010/01/27(水) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

Knowledge producer へ

最近、授業を受けたり、論文を読んだり、経済学関連のサイトを見たりする中で、何度か繰り返して目にし耳にする言葉がある。それは、knowledge の consumer から producer へ、という文言だ。強く印象に残る言葉だ。僕らはこの場所で、今まさにそのジャンプが求められているのである。1年目のコースワークで基礎知識を叩き込まれ、今は knowledge の最先端で何が起きているのかを学ぶ。しかし、ここまではあくまでも、consumer でしかない。人の造りし知識に安住するだけでなく、巨人の肩に乗って遥か先を見つめ、新たな知の創造に貢献できるかどうかが、これから求められることなのだ。


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2009/10/20(火) | Class | トラックバック(0) | コメント(2)

クラスメイトとの会話(南米編)

南米の連中は、やわらかい話をするときと、かたい話をするときのギャップが大きい。もちろん酒を飲んで一番陽気になるのも彼らだ。やわらかい話の一番バッターは当然サッカーについてだ。そしてこの話が長いし、同じネタを繰り返すし、その話だけで終わることもある。しかし、それが飽きないくらい、彼らと付き合っていると楽しいよね。

今の代表チームはなっとらん、という話に始まり、選手・監督の批判が続く。そして、史上最高のプレイヤーを思い出し、最もスペクタクルに輝いていた時代と、感動のゴールやベストマッチに思いを馳せる。それは僕らも同じだ。日本代表の短い歴史の中にも、いくつもの酸いと甘いの記憶がある。

しかし、ここにはブラジル人がいて、アルゼンチン人がいて、チリもコロンビアもいる。あぁもう日本のサッカーの話なんかできないわ。少なくとも僕にとっては、南米サッカーについて知っていることも多いのはラッキーだったな。それだけで、南米コミュニティに入れてもらえた感はある。ただ、スパニッシュは全く話せないし聞き取りもできないんだけどな・・・。アメリカにいると買い物したりタクシーに乗ったりしていつも思うが、第二外国語を選ぶならスペイン語だったなと思う。それくらい日常生活の中でもヒスパニックの影響は大きい。ドイツ語なんか選んでしまったのは、今思えばかなりの失敗だったと、南米の彼らと話すとき、いつも思うのだった。

さて、そんな彼らにも真面目な悩みがある。国内経済が長年停滞していることを心の底から憂えているのだ。政治は汚職が多く、経済政策が分かる専門家もいない。だからこそ、きちんと経済学を学び、自国の経済政策に活かす提言をしたいのだ、という志を多くの学生が共通して持っている。そして、そこにはアメリカに対する愛と憎という彼らならではの複雑な心情がある。愛の面で言うならば、そもそも経済学を学ぶならアメリカの大学院しかないという憧れと尊敬。一方で、自国の経済がこれだけ停滞している責任の一端はアメリカにもあろうという憎しみだ。

南米の多くの国では、とくにインフラの整備で、IMFや世界銀行のプロジェクトに依存することが多い。しかし、それぞれの国から見ると、アメリカ人スタッフが、アメリカ的な考えで立案し、アメリカ経済に好影響を与えるように設計されているプロジェクトそのものが気に入らない、という主張なのだ。実際の様子を僕自身が知らないので判断はできないけれども、彼らがアメリカに大きな不満を抱えているというのはよく分かった。そして、大衆レベルでその感情を共有しているからこそ、南米のいくつかの国で、反米的な独裁政権が生まれるという経緯も分かるようになる。

僕のクラスメイト達は、ビールを飲み、陽気に語りつつも、そんな複雑な思いを抱えている。だから、南米の彼らと、アメリカ人クラスメイトが打ち解けているようにはとても見えない。とくにアメリカ人学生の何人かが、将来IMFや世界銀行に就職してもいい、といったことを口にしたときには、その場の空気が一瞬凍りつくことに、僕は気づいている。南米とは違う陽気さ(と無邪気さ)があるアメリカ人たちは、まったくもって気づいてなさそうだけどな。

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2009/08/19(水) | Class | トラックバック(0) | コメント(2)

米国編(番外)

アメリカの地域性について話すのも興味深い。これだけ広い国土があれば、当然、東西南北のエリアによって、文化が著しく異なってくる。というのはよく分かる。日本だってあれだけ地域性・県民性が豊かなんだから。ただ、アメリカで具体的にどう違うのか、がまだよく分からない。行ったことがない地域が沢山あるしなあ。

そんな話題の中で一番面白かったのが、アメリカ人にとっての「田舎」だ。方言やアクセントの違いについて話しているとき、「アメリカだとケンタッキー州出身だと田舎もん扱いされるんだよね」という発言があったのだ。そのときはへええ、と思ったものの、何しろ行ったことないし、出身の友達もいないから、今ひとつ実感に欠けたまま、その会話は終わった。

が、後日たまたま、ケンタッキー出身の人と話す機会があって、ものすごく納得してしまったのだ。彼女は生まれも育ちもケンタッキー。今はケンタッキー州内の大学で、経済学部に学んでいる学部生だ。そして、確かに、都市部出身のアメリカ人から馬鹿にされちゃう感でいっぱいだったのだ・・・。

まず、服装が濃ゆい。思わず、お水商売の方ですか、と勘違いしてしまいそうな格好だ。そして、化粧も濃ゆい。顔は白く、唇は赤い。そこまでくっきり、はっきりしなくてもいいのに。これがケンタッキー・スタンダードなのだろうか。田舎の女の子が大都会に憧れて上京してきましたという、ハリウッド映画だか、アメリカンドラマに出てきそうな雰囲気そのままなのである。こういう子、本当にいるんだー、という素直な驚きだ。

誤解ないよう言っておくと、この子はカワイイ。実際、地元高校ではチアガールで活躍し、アメフト部の主将と付き合い、在学中にはミスコンで優勝した経験もある(かも知れない)。そんな彼女のしゃべり方やアクセントは、次第にマリリン・モンローのそれに聞こえてきた。なにしろ地元ではいまも、ケンタッキーのマリリンとして有名なのだ(たぶん、きっと)。僕が会ったときも、周りに取り巻きらしい男の子が何人もいるなど、マリリンはそのアイドル性を最大限に発揮していた。

大学院に進学したいと言う彼女だが、これから先大変だぞ。勉強が、ではなくて、ケンタッキーを田舎扱いする視線と戦っていくのがだ。映画とドラマでちゃんと予習しているだろうか、その視線の克服の仕方を。道は長く険しいが君ならできる、がんばれマリリン!と応援しているうちに、彼女の本名を忘れた。

負けるなよ、マリリン。

2009/08/17(月) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

クラスメイトとの会話(米国編)

アメリカ人クラスメイトとよく話すのが、アメリカの教育についてだ。以前にも書いたように、僕の学部にいるアメリカ人学生は、せいぜい全体の4分の1程度だ。学部によって差はあるだろうが、経済学部博士課程について言えば、アメリカ国内どの大学でも大概同じような比率ではないだろうか。

大学院に進学するよりも、金融業界やベンチャー企業に就職していく友達の方が彼らの周りにも多いだろう。となると、彼ら自身は、どういう(教育的)バックグラウンドで、将来に対してどういう志向を持っているのか、というのが気になるわけだ。そのことを聞いてみると、実際、学部の友人の多くは卒業後就職していったという。そして、大学院進学を選んだこのクラスメイト達に対し、「よくそこまで勉強する気になるね」とコメントしていくことも多かったようだ。

そんな「少数派」の選択をしたアメリカ人学生達にはいくつかの共通点がある。まずは家庭環境。半数近くの家庭が、父親もしくは母親が大学教授ということだ。何とも分かりやすいが、身近に働く姿を見て自分も、というパターンなのだろう。もうひとつ父親の仕事として多いのが、銀行員。それも、ウォールストリートで買収案件を手がけているようなバンカーではなく、地方銀行の融資担当といった銀行員だ。それ以外では、メーカーのエンジニアもある。要は、堅実な職業に就いていることが多い。その上で、両親は教育熱心で、本人も初等教育から学部課程まで比較的真面目に勉強してきた様子が伺える。

それが僕にはちょっと意外だった。もっと上昇志向の塊のような連中がいるかと思っていたんだよね。研究者として成り上がって、地位も名誉も収入も、みたいなね。ビジネススクールのファイナンス専攻Ph.D.学生には若干そんなニオイもするけれど、少なくともここ経済学部Ph.D.にはそんなカケラも見当たらない。それは平穏な環境である反面、ハングリーさに欠ける側面もある。

次に、アメリカ人学生の共通点として挙げられるのが、Ph.D.取得後の進路。アジア人学生が何が何でもアカデミックポストをと渇望しているのに対し、彼らの選択肢はもっと広い。例えば、FRBやIMF、世界銀行、シンクタンクといったところも、彼らの視野に入ってくる。その理由はいくつかあるだろう。一つは彼らがアメリカ人であり、英語ネイティブであり、こうした組織に就職する際に有利に働くことがあろう。しかしそれ以外にも、父親(母親)の背中から、アカデミックな業界特有の厳しさや醜さを知り、学位ほどには業界そのものに興味を持っていないということもある。その上で、アメリカ人ならではの楽観性もある。研究者としてではなく、大学で教育に従事したっていいじゃないか、という気持ちもあるように感じるのだ。

将来に対するこの考え方は、アジア人学生と比べ、いかにも対照的だ。アジア人の多くは、米国トップスクールに絶対就職しなくては。それができなかったときには、泣いて祖国に帰ります、という人が多い。おおいに結構なことなのだが、なんと言うか悲壮感が漂っているんだよな。そんなに思いつめなくてもいいんじゃないか、もっと気楽に行こうぜ。アメリカ人クラスメイト見てみろよ。成績悪くてもあんなに楽観的なんだゼ。だから、アメリカ人と話していると、アジア人留学生と話すときとは違う面白さがある。

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2009/08/15(土) | Class | トラックバック(0) | コメント(2)

クラスメイトとの会話(台・香編)

台湾人・香港人、それに韓国人を加えた東アジアのクラスメイトと話していていつも思うことがある。彼らが、この東アジアの国々の間に、明確な「序列」を付けていることが多いということだ。一国の経済だけでなく、社会や文化の成熟度などを加味した総合的な国力、といったニュアンスだろうか。

誰にとっても、東アジアの総合力ナンバーワンは日本だ。そしてこれも同じく、誰にとっても総合力最下位は中国だ。そして、自分の国を2位に位置づける傾向が強い。例えば、韓国人の彼らにとっては、日本に次ぐ成熟度はわがくに韓国だ、という意識なのである。一方の香港人は、国際性を考えれば、日本に次ぐのはわがくにだという考えなのである。そして一様に、中国はまだまだだな、という気持ちを持っている。だから、韓国・台湾・香港の留学生の間には、微妙なライバル意識や緊張感が漂っているように感じられるし、中国を見下しているという姿勢も露骨だったりする。

僕にとってそれは嬉しいことでもないし、面白いことでもない。今も日本をある種の尊敬の念でもって見てくれるのは確かに有難いことではある。しかし、それでは東アジアの枠にとらわれず世界的に見ても同じく日本は尊敬されるのか、となると必ずしもそうではない。また、中国に対してまだまだ遅れた国という見方をし、例えば、中国人クラスメイトのファッションをダサいと見なしている者がいるというのも不愉快だよね。なんというか、誰しもが歩んできた道じゃないかと思うのだ。僕らだって5年前のファッション雑誌を読めば今とこんなにも違うのかと思うだろうし、10年前の歌番組なんか見たらその歌詞や衣装や髪型に驚き笑っちゃうじゃないかとね。

それはファッションだけでなく経済やビジネスだって同じだ。中国の商習慣が古いとか言う者も多いけど、それは他の国だって同じこと。古さの度合いがちょっぴり違うというだけのことのように思われるし、実際日本でも古き(良き?)慣習なんかいくらでも残っているではないか。

ちなみに、総合力という曖昧な指標で、日本をトップに、そして中国を最下位に位置づける彼らだが、GDPという分かりやすい指標で計るならば、その順位はがらりと変わる。韓国・台湾・香港の「熾烈な2位争い」は、残念ながら最下位争いに一変する。そして、いよいよ中国のGDPが日本を抜く日が近づいてきたのだ。

時事通信より)
経済産業省は19日の閣議に2009年版通商白書を報告した。名目GDP(国内総生産)で世界3位の中国が来年には日本を追い抜くとの国際通貨基金(IMF)の経済予測を踏まえ、「『世界2位の経済大国』としての(日本の)地位も残りわずか」と、日中逆転に初めて言及。その上で、日本の針路として「課題解決型国家」を掲げ、地球温暖化をはじめ世界が直面する問題の解決に貢献することで存在感を示すよう訴えた。
 白書は、日本は「ヒト、モノ、カネ、ワザ、チエの提供」を通じ、「世界の課題を解決しつつ、日本の利益にもなる」ビジネスモデルを構築すべきだと主張。こうした課題解決型国家の役割として(1)太陽光発電、エコカー、省エネ機器、水処理など先進技術を海外に普及(2)開発途上国の社会資本整備や資源開発へ資金を供給-などを例示した。



これは数年前に予想されたスピードよりも更に速い。BRICsの名称を普及させた、2003年のゴールドマンサックスのレポート"DreamingWith BRICs: The Path to 2050 (PDF)" では、中国のGDPが日本を抜くのは2016年、米国をも抜くのが2041年と予測されていたのだ。それが7年も早く現実味を帯びることとなったのだ。台湾人・香港人、それに韓国人の彼等と話す度に、中国の躍進と、アジア圏内のパワーの変遷を思わずにはいられない。

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2009/07/12(日) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

クラスメイトとの会話(中国編)

【硬め】
中国人の彼ら彼女らと話していていつも感じるのは、膨大な人口からくる激烈な競争だ。アメリカとは違った意味での競争社会がそこにあるように思う。例えば大学受験。一流大学を目指して猛勉強するのは、日本や韓国と変わらないだろう。だが、合格のボーダーラインにひしめく人数が圧倒的に違うわけだ。合格/不合格を決める1点差に、どれくらいの数が群れていると想像できるだろうか。だから彼らは、最後は運だと、思い切り割り切っているように感じられる。確かにそう思わないとやっていけないよな、この国では。

そして、その競争はずっと続くものなのだ。アメリカの大学院に留学するための競争があり、卒業後母国に帰るのならば、そこでまた熾烈を極めた就職競争になる。ストレスも相当なはずだが、彼らはそのストレスと一生付き合っていかねばならないからこそ、付き合い方そのものをうまく学んでいるのだろう。

中国への帰国について面白いと感じるのは、最近は中国人留学生の帰国熱が高まっているということだ。経済学の分野ではそれほどでもないように思うが、理学系や工学系の大学院生はその多くが、中国での就職を真剣に考えている。これは10年前にはなかったことで、その頃は何よりも就職してアメリカに残ることこそが成功の証だった。しかし、現在では、アメリカに残る成功もあれば、中国に帰ってからの成功もあると考える留学生が多いのではないだろうか。その背景には、片方ではアメリカの景気悪化と就職難があり、もう一方では中国の経済成長がある。

中国人留学生によれば、アメリカの企業に就職しても、トップに昇り詰めるほどには出世することは難しいという。(見えない)「ガラスの天井」とは若干異なり、明らかに目に見える壁なのだと言う。英語をネイティブスピーカーと同等に滑らかに話せ、かつ学業優秀な彼らであっても、その「壁」を超えるのは至難の業なのだそうだ。だからこそ、彼らは、成功の機会が一気に増えた母国に帰り、壁に阻まれることなく、自由に伸び伸びと上を目指していきたいのだ。

とはいえ、アメリカには中国人の経営トップや起業家も多いように感じる。そのことを聞いてみると、いつも「あぁ彼らはABCだからね」という答えが返ってきた。中国人留学生が言うABCとは、America Born Chinese の略で、中国系アメリカ人を指す。その"ABC" という言い方に、中国人クラスメイト達の複雑な心境を見るようだ。アメリカ生まれアメリカ育ちで、他のアメリカ人と同じ土俵で勝負できる中国人と、中国生まれ中国育ちであるためにその土俵に立つことも難しい中国人。ABCという言い方に羨望の気持ちがあるのは当然だが、それと同時に、ある種の蔑視のようなものを感じたのも事実だ。

この感覚は分かるようでいて、大事なところが分からない。それは恐らく、America Born Japanese が少ない日本と日本人が持つ特徴でもあるのだと思う。人口減少時代を迎え、日本でも移民受け入れについは議論されてきたように思うが、日本人が海外に移住することは今後どれだけ一般的になるのだろうか。中国人の友人と話しながらも、日本の今後、そして50年後100年後にはひょっとして ABJ という言い方がフツーに使われるような時が来るのだろうか、それはハッピーなことなのだろうか等と考えてみる。


【軟め】
中国人のクラスメイト達は皆そろいもそろって、日本のTV番組とともに育ってきた者ばかりだ。アニメ、ドラマから歌番組まで、いやぁよく知っているなぁと驚いてしまう。最近の番組だけでなく、古いものもよく知っているしね。下手するとこちらの方が知らないこともあったりする程だ。

もちろん韓国をはじめ、アジアの国はどこも日本のカルチャーびいきではあるのだが、中国人の熱はそれ以上のものがある。例えば、韓国人クラスメイト達は韓国映画も見るしハリウッド映画も見る。それに比べると、中国人の彼らは日本のモノの比重がより一層高いようなのだ。そういう意味で、初対面で挨拶して自己紹介して、その後簡単な雑談するのは、中国人の彼らとが一番簡単だったような気がする。彼らの方から、ドラマ『女王の教室』見たよとか、矢田亜希子の名前は日本語で何て読むのとか、木村拓哉は今も日本で人気なの、とか矢継ぎ早に質問されたりしてね・・・。

だからいつも疑問に思うのは、反日という感情だ。こういうクラスメイト達と一緒にいると、日常生活の中で嫌な思いをしたということがない。もちろん日中間の歴史について話せば、もっと本音の感情がぶつけられるのかも知れないが、少なくとも学生生活を過ごしている上では、そのような思いに直面したことがない。

もう一つ中国人の彼等とよく話す柔らかい話題は、食事だな。アメリカの食事はまずいね、やっぱりアジア人には向かないよね、というのが基本的なお決まりの会話パターンなのだが、それが飽きないほどに、残念ながらアメリカの食事のバラエティーは少なく、アジアの豊かさが強調される。毎日の変化に乏しい学生生活の中で、彼等と一緒に中華料理を食べに行くときほど、人生が輝いて見えるというのは、本当だゾ。

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2009/07/09(木) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

韓国編(番外)

今学期、韓国人教授から授業後に呼び出しを受けた。後日研究室に来るようにとのこと。何だろう、何か悪いことしたっけ?と身に覚えもないのに悪いことから考えてしまう。いちおうよい方向にも思いを馳せ、研究室に行くまでに予想した内容は以下の2つだ。

ベストシナリオ:
この前のレポートよく書けているじゃないか。このテーマでこの先論文を書いてみないか? という研究のアドバイス。

ワーストシナリオ:
この程度の試験の出来だとこれから厳しいぞ。研究者以外の道もあるんじゃないか? という人生のアドバイス。
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2009/07/06(月) | Class | トラックバック(0) | コメント(2)

クラスメイトとの会話(韓国編)

勉強方法に各国それぞれの特色があることを以前書いたが、今回はそんなクラスメイト達との主な会話について、まとめておこうと思う。政治や経済といった少し硬めの会話と、文化や風習等の軟かい会話との両方を。まずは隣国の韓国人から。

【硬め】
韓国人クラスメイトとよく話題になったのが、彼らの兵役経験だ。大多数は学部学生のうちに2年間休学し兵役に就く。義務を果たすために仕方なく2年間を費やしているのかと思っていたが、どうやらそんなことはなさそうなのだ。それが意外だった。話を聞いていて思い浮かべたのが「部活の合宿」だ。サッカー部や野球部の夏の合宿。かわいい女性マネジャーなんかおらず、居るのは鬼のコーチだけ。どこまでも男臭く汗くさい。でも何だか楽しい青春の一ページ。彼らのからっと明るい話しぶりからは、そんな印象を受けた。英語の発音がとてもきれいな一人にその理由を聞くと、兵役中の上官がアメリカ軍人だったなんてこともあるようだ。彼らの口から兵役への不満、政治への不満、アメリカ軍事戦略への不満等を聞いたことがない。日本人クラスメイトの僕に言うことではないのかも知れないが、僕にとってはそれが意外な発見だったのだ。

もう一つ、彼ら彼女らととよく話したのが、韓国の教育熱。お受験戦争は日本を超える熾烈さだというのはよく知られたところだが、僕にとっての驚きは韓国人の海外留学熱。大学院だけでなく学部留学、さらには高校留学も数多く、さらにその数が増えていると言う。そしてそのまま帰国しない選択をする者も多いという。海外でよりよい職に就く、より豊かな暮らしをするという希望が強いと感じた。と同時に、海外で出産するとその子供自身は兵役の義務がないということも影響しているようだ。彼ら自身が兵役に就くのに文句はないが、我が子には同じ経験はさせたくないという思いに、間接的な不満を初めて垣間見た。

海外でより豊かな暮らしをと望む背景には、韓国経済の低迷と先行き不安がある。例えば、韓国を代表する企業、サムソン。日本で言えば、松下・トヨタ・NTTに相当するような、就職先としても人気の大手企業なのだと思っていた。しかし、韓国人にとっては決してそんなことはないようなのだ。給料は低く労働時間は長い。その生涯賃金ではソウル市内にマイホームを購入することすらできない、それが不人気の理由だ。日本人よりもずっと給料の高低に敏感な韓国人にとって、安定した高給取りになる選択肢は3つ。一つは目は、ビジネススクールを出て外資系金融機関に就職。二つ目は、メディカルスクールを出てドクターに。三つ目が、海外Ph.D.を取り研究者に。海外留学しないならば、選択肢は最初の二つに絞られる。だから、学部での専攻分野に関係なく、学部卒業後にビジネスかメディカルの院進学が急増しているとのことだ。

海外への人材流出、国内製造業の不人気、人材供給先の偏り等、いくつもの問題があるように見える。しかし、これは韓国の課題であると同時に、いつでも日本の課題ともなり得ると感じられ、だからこそより一層彼らの話に耳を傾けた。


【軟め】
韓国と日本とはつくづく似ている点が多いと感じる。それでいてちょっと違うところがお互いに面白く、よく話したものだ。例えば結婚について。クラスメイトの一人がこの夏、韓国で結婚式を挙げるということで、その準備の様子などを興味深く聞いた。まず似ているなぁと思うのが、結婚式の形態と、結婚式そのものが一つの産業にまでなっているところ。式の選択肢としてホテル、式場、教会等があるのは日本と全く同じだと思った。と同時に、ホテルは豪華だけどその分値段が張るんだよねぇという彼のコメントはそのまま日本の結婚産業にも当てはまるだろう。ご祝儀や引出物といった慣習が同じなのも興味深い。

一方で異なる点の最たるものが、式の規模だ。今回の彼の式でも200~300人規模だそうだ。政治家の息子である別のクラスメイトが去年行った式は、700人だったと言う。マジですか!? その700人の式では当然一つの会場には入り切らないので、別会場も用意しテレビ中継で式を見守ったそうだ。いやぁ、たまげた。それだけの規模になる理由がまた面白い。式の招待客の人数が、その家族の社会的地位や影響力を表すと信じられているとのこと。だから、稀にではあるものの、人数を意図的に増やすために、わざわざアルバイトを雇って席に座ってもらうこともあるとかないとか。何と見栄っ張りな! 

結婚観については、韓国人男性は日本人男性以上に保守的だ。結婚相手には高学歴や高収入の女性を避け、専業主婦・良妻賢母タイプを求める傾向が強い。だから、同じクラスメイトなのに、韓国人男性が韓国人女性になんだか遠慮がちで及び腰なのが笑っちゃう。こんな風に結婚ひとつとっても、日本とよく似ている部分とずいぶん違う点が同居している。それが韓国という国の面白さだと思う。

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2009/07/03(金) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

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