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キックアウトとアメリカ法社会

留学2年目からの最大の変化は、前回書いたように、knowledge producer への転換が求められているということ。それとは別のもう一つの大きな変化は、残念だがクラスメイトの何人かが去っていったことだ。2年生に進級できずに退学となる、いわゆるキックアウトというやつだ。今まで一緒に勉強してきた仲間が隣にいないというのはやはり寂しいものがある。個人的に仲のよかった者を見送らねばならないというのは、つらいものだ。

この、「学校を追い出されるかも知れない」という恐怖が、1年生をがむしゃらな勉強に駆り立てる。そして確かにそれがアメリカのアカデミックの強さであり逞しさである。と同時に、ストレスでもあり哀しさでもあろう。よく頑張ったから、という情はなく、結果が出なければそれまでなのだ。教授も私情が混ざらぬよう、極めて機械的に成績を判定していく。ルールが明確であり、そして厳格なのである。

このことは大学内のルールにとどまらず、アメリカ社会を覆う法律全般に渡って言えることでもある。典型的なのが、エンロン事件に端を発した会計ルールの強化だろう。司馬遼太郎が『アメリカ素描』の中で指摘したように、アメリカは nation ではなく states であり、法律によって成立する「人工国家」なのである。「地」や「血」による繋がりが希薄なこの国においてはとくに、法の緩みはそのまま国家の綻びにつながる。だから法律が絶対であり、ルールを破る者は個人・法人を問わず「無法者」の烙印を押され、社会秩序を乱したとしてそれだけの制裁が下る。

しかし、それだけ整備された法社会の中にあってもなお議論が絶えないのは、ひとえに「ルールを作るルール」だけは文書化できない点にある。『憲法で読むアメリカ史』に描かれているように、アメリカ最高裁が下す判決は常にその時代の空気だけでなく、裁判官一人一人の信条までを反映してきた。だから最初のルール制定に責任を負う裁判官の心は揺れ、世論は割れた。最近で言えば、同性愛結婚をめぐる議論を見れば分かるだろう。アメリカ国内においても、州によってまたは裁判官によって、その判断が異なる。そしてその紛糾は今も続いている。

アカデミックな世界に話を戻すならば、2年に進級できるかできないか、そのルールは最初から明確に提示されている。その上、誰もがそのルールが厳格に適用されることを知っている。だから、大学を去る者は何の反論もせず去って行き、そしてそれを見送る者は何も言わず、ただその後姿を見つめることしかできない。こんな寂しい光景を将来見なくても済むようになるのは、現行ルールの不備や弊害が見つかり、ルール改定の機運が「内部から」高まってきたときなのだろうが、今のところその気配はない。アカデミックのルールは、良くも悪くも堅牢そのものなのだ。


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2009/10/22(木) | America | トラックバック(0) | コメント(0)

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