メガチャーチが信者を集めていると書いたが、数字で見ると、その浸透スピードには改めて驚かされる。現在全米で1,300を超えるメガチャーチがあると言われているが、教会の数そのものよりも、そこに集まる人の伸びが著しいのだ。Hartford Institute for Religion Research によれば、9割を超えるメガチャーチが、教会に通う信者数を急速に伸ばしているのだ。

では実際のところ、どんな人たちがメガチャーチに通っているのか、というのが気になるところだが、その疑問には同研究所の最新の調査結果(2009年)が応えてくれる。

では実際のところ、どんな人たちがメガチャーチに通っているのか、というのが気になるところだが、その疑問には同研究所の最新の調査結果(2009年)が応えてくれる。
1.若い
メガチャーチの信者は45歳未満が62%を占める。教会全体平均の35%と比べると、いかにメガチャーチが若年層に浸透しているのかが分かる。

2.ニューカマー
メガチャーチに通ってまだ5年未満という層が61%。全体平均では10年以上教会に通う層が45%いるのと極めて対照的だ。メガチャーチの歴史がまだ新しいことや、信者の年齢が若いことを鑑みても、メガチャーチのマーケティング戦略がどれだけ「新規顧客」開拓に成果を挙げたのかが見えてくる。

3.独身多め
年齢が若いこともあって、メガチャーチ信者の31%が独身。全体平均は10%。だから、メガチャーチは「出会い」の場所でもあったりする(んだと思う)。むしろ独身者にとっては信仰なんかよりもそんな出会いの方が大事だったりして?
4.学歴・収入高め
最も注目すべきは、収入の高さではないだろうか。メガチャーチ信者の26%が、$100,000(約930万円)以上。全体平均は15%。全体平均には既にリタイアしている高齢者が多く含まれているとはいえ、大学生や卒業したばかりの若年層を多く抱えるメガチャーチ信者の平均収入は高いように感じられる。これも一つのマーケティング成果なのだろう。

ここに見られる特性は、僕が今回8,000人規模のメガチャーチを訪れて観察したこととほぼ一致する。若干違うのは僕の経験では独身者よりも若い夫婦が目立っていたことだ。個人的には、典型的なモデル信者として、夫35歳、妻32歳、子供二人(6歳と3歳)くらいを想像していたわけであるが、この辺りの違いは当然地域差でもあるのだろう。収入面に関しても確かにゆとりのある家族がほとんどだと見受けられた。カジュアルな格好ではあるものの、家族そろって小奇麗な格好をしているし、乗っている車もいいものだと思う。
調査報告書も結論付けているが、メガチャーチ信者に "radical" な違いはない。それでも、年齢や収入、教会活動への関わり方、寄付の多寡等々に、無視できない違いがある。そんな小さな違いであっても、それが8,000人とか数万人の単位で集まるわけだから、コミュニティ内においてはひときわ異彩を放っている。とくに伝統的な教会に通う年配者にとっては信者を取られるかも知れないという運営面での不安もあれば、コミュニティ内の異質性に対する生理的な不安もあるのだろう。そんな年配者は、メガチャーチがコミュニティの不安を増長している原因と言うかも知れないが、そうではなく、コミュニティ内の不安や不満の結果として、メガチャーチが誕生し、かつ急速に浸透しているのだと言うことはできないだろうか?
メガチャーチ信者が特に増加しているのは、アメリカの「郊外」なのである。もっと言えば、その郊外の中の「新興住宅街」「ニュータウン」なのである。こうした言葉を日本社会の文脈に当てはめたとき、僕らは何を想像するだろうか?残念ながら夢や希望といったポジティブなものではないだろう。むしろ、『まぼろしの郊外』や『「家族」と「幸福」の戦後史』、そして重松清の一連の小説等に描かれているような、幻想や崩壊といった言葉が悲しいほどによく当てはまる。重松作品のラストでは、絶望の淵にあっても必ず家族一人一人がささやかな希望を見つけ、明日への一歩を踏み出す。しかし、果たしてアメリカの郊外にはその小さな希望はあったのだろうか?僕は、そんな希望はなかったのではないかと思っている。家族の問題や友人関係、仕事や将来の見通し等々、様々な点で望みを失った人たち、そして希望を見出せなかった人たち。そんな彼らが最後の拠り所としたのがメガチャーチだったのではないだろうか。日本のニュータウンに見られる無機質さや匿名性と全く同じものを、このメガチャーチにも感じる度に、僕はそう思わざるを得ないのだ。
メガチャーチの信者は45歳未満が62%を占める。教会全体平均の35%と比べると、いかにメガチャーチが若年層に浸透しているのかが分かる。

2.ニューカマー
メガチャーチに通ってまだ5年未満という層が61%。全体平均では10年以上教会に通う層が45%いるのと極めて対照的だ。メガチャーチの歴史がまだ新しいことや、信者の年齢が若いことを鑑みても、メガチャーチのマーケティング戦略がどれだけ「新規顧客」開拓に成果を挙げたのかが見えてくる。

3.独身多め
年齢が若いこともあって、メガチャーチ信者の31%が独身。全体平均は10%。だから、メガチャーチは「出会い」の場所でもあったりする(んだと思う)。むしろ独身者にとっては信仰なんかよりもそんな出会いの方が大事だったりして?
4.学歴・収入高め
最も注目すべきは、収入の高さではないだろうか。メガチャーチ信者の26%が、$100,000(約930万円)以上。全体平均は15%。全体平均には既にリタイアしている高齢者が多く含まれているとはいえ、大学生や卒業したばかりの若年層を多く抱えるメガチャーチ信者の平均収入は高いように感じられる。これも一つのマーケティング成果なのだろう。

ここに見られる特性は、僕が今回8,000人規模のメガチャーチを訪れて観察したこととほぼ一致する。若干違うのは僕の経験では独身者よりも若い夫婦が目立っていたことだ。個人的には、典型的なモデル信者として、夫35歳、妻32歳、子供二人(6歳と3歳)くらいを想像していたわけであるが、この辺りの違いは当然地域差でもあるのだろう。収入面に関しても確かにゆとりのある家族がほとんどだと見受けられた。カジュアルな格好ではあるものの、家族そろって小奇麗な格好をしているし、乗っている車もいいものだと思う。
調査報告書も結論付けているが、メガチャーチ信者に "radical" な違いはない。それでも、年齢や収入、教会活動への関わり方、寄付の多寡等々に、無視できない違いがある。そんな小さな違いであっても、それが8,000人とか数万人の単位で集まるわけだから、コミュニティ内においてはひときわ異彩を放っている。とくに伝統的な教会に通う年配者にとっては信者を取られるかも知れないという運営面での不安もあれば、コミュニティ内の異質性に対する生理的な不安もあるのだろう。そんな年配者は、メガチャーチがコミュニティの不安を増長している原因と言うかも知れないが、そうではなく、コミュニティ内の不安や不満の結果として、メガチャーチが誕生し、かつ急速に浸透しているのだと言うことはできないだろうか?
メガチャーチ信者が特に増加しているのは、アメリカの「郊外」なのである。もっと言えば、その郊外の中の「新興住宅街」「ニュータウン」なのである。こうした言葉を日本社会の文脈に当てはめたとき、僕らは何を想像するだろうか?残念ながら夢や希望といったポジティブなものではないだろう。むしろ、『まぼろしの郊外』や『「家族」と「幸福」の戦後史』、そして重松清の一連の小説等に描かれているような、幻想や崩壊といった言葉が悲しいほどによく当てはまる。重松作品のラストでは、絶望の淵にあっても必ず家族一人一人がささやかな希望を見つけ、明日への一歩を踏み出す。しかし、果たしてアメリカの郊外にはその小さな希望はあったのだろうか?僕は、そんな希望はなかったのではないかと思っている。家族の問題や友人関係、仕事や将来の見通し等々、様々な点で望みを失った人たち、そして希望を見出せなかった人たち。そんな彼らが最後の拠り所としたのがメガチャーチだったのではないだろうか。日本のニュータウンに見られる無機質さや匿名性と全く同じものを、このメガチャーチにも感じる度に、僕はそう思わざるを得ないのだ。
2010/01/10(日) | America | トラックバック(0) | コメント(2)