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日本とアメリカに見る郊外

アメリカの中流家庭というものは、日本ではほとんど注目されることはないように思う。それは、以前書いたように、ゲーテッドシティに住むような超富裕層と、ほぼスラム化した地域に住むような超貧困層の両極に話題が集まりがちになるためでもあるのだろう。しかし僕には、アメリカの中流家庭もしくは彼らが住む典型的な郊外型住宅は、ゲーテッドシティやスラムに負けず劣らず異様なものに感じられるのだ。

アメリカの新興住宅街はまずもってその規模がケタ違いだ。日本の大規模ニュータウンの「小規模さ」が何ともかわいらしく思えてしまうくらいだ。飛行機の離着陸時にもはっきりと目視できるほどに広がるニュータウンは、だからこそ気味が悪い。どこまでも続く同型の家々にマスプロダクトの極致を見るような気分になり、その同質性にこそ異質さを感じずにはいられない。藤原新也の『アメリカ』では、そんな異様さにレンズが向けられている。ホンマタカシの『TOKYO SUBURBIA』が、東京郊外の箱庭的な空気を切り取ったものであるのに対し、藤原新也が見るアメリカ郊外はぞっとするほど冷たいショールームのようだ。

前回書いたように、アメリカのそんな新興住宅街でメガチャーチ建立が相次いでいるのである。Hartford Institute for Religion Research の調査結果に、その数字が出ている。

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新興住宅街に感じた藤原新也の不安は、日本においては家族の崩壊やコミュニティ内の不信、そして犯罪といった形で具現化していった。しかし、アメリカにおいては、メガチャーチが新たなコミュニティの核として誕生し、地域内の不安や絶望を飲み込みながらその勢いを増しているように見える。果たしてメガチャーチとは、アメリカ郊外における文字通りの救世主なのか、それとも日本以上にコミュニティ崩壊を招く元凶なのか。僕はそんな複雑な気持ちを抱きながら、この8,000人の信者を抱くメガチャーチを後にした。



2010/01/11(月) | America | トラックバック(0) | コメント(0)

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