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日本の正月とチャーチの未来

今年の元旦は思いがけず、御節にお雑煮に、日本的な正月を満喫した。ありがたいことに知人の正月パーティにお招き頂いたのである。日本人の旦那とアメリカ人の奥様のご夫婦であるため、日本人・アメリカ人を含め多様な人が集まっており、実に刺激的で楽しい一日を過ごすことができた。

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当日来ていた一組に、僕の知人夫婦とは日本の教会で知り合ったという、アメリカ人夫婦がいた。もう二十年を超えるような付き合いだという。それを聞いてまた思い返したのが、前に書いたメガチャーチについてだ。この知人夫婦のように、日本であれアメリカであれ、伝統的な教会は規模も小さくその分付き合いも濃い。それは古くからあるコミュニティについても同じことが言える。近所の誰それがどこの高校に入ったとか、退学したとか、どこで働き始めたとか、誰と結婚したとか等々々々。これは確かにウザイことではあるし、一度ネガティブなレッテルを貼られると中々挽回できないという問題もある。しかしそれと同時に、付き合いが濃いからこそ一生の仲間、損得なしで付き合える友人に恵まれることも多い。

メガチャーチは、ライトでカジュアルでお手軽だ。数千人もいる群衆の中にあっては、自分だけが過度に注目されることもなければ、後ろ指を差されることもない。ゆるりとした弱い紐帯が心地よいというのもよく分かる。しかし、それは逆に誰かを助けたり、誰かに助けられたりといった強い結びつきを忌避する傾向でもある。実際、メガチャーチ信者は平均して教会活動への関与が薄く、寄付額も少ない。僕を8,000人のメガチャーチに連れて行ってくれた家族も、教会で友人に挨拶をしているのを一度しか見なかった。これはほぼ全員が顔見知りで、一人一人と挨拶を交わすような伝統的チャーチとはいかにも対照的である。

勢力を伸ばし続けるメガチャーチの最大の欠点はここにあるのではないかと僕は思う。信者は若く、学もあり、収入も多いからこそ、今のところ個々人の問題はほとんどないか、またはあっても簡単に解決できるものであろう。しかし、今後年が経つに連れ、年齢や体力やお金では解決できないような困難に直面したときに、彼らは何に助けを求めるだろうか。果たしてメガチャーチやそこに集まる群衆は、彼らの期待するような精神的または経済的な支えを与えてくれるだろうか。僕にはそうは考えられない。

ある冬の寒い日、悩みを持ってメガチャーチを訪れた一人の信者。誰かに話を聞いて欲しくても、そんな深い付き合いはしてこなかった。牧師は当日のトークのリハーサルに忙しい。音楽が流れ始めればロビーにたむろしていた人たちも一斉に会場に流れていく。一人ぽつんと残された彼は、ここに自分の支えがなかったことに初めて気づき、寒風にされされながらロックが響き渡るチャーチを後にする。そんな悲しいシーンを想像し、僕は一人涙した。そして、そのせいで僕の雑煮だけちょっぴり塩味がした、なんてことは当然ない。

2010/01/14(木) | America | トラックバック(0) | コメント(0)

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