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養子マッチングのアカルイミライ

正直なところ、養子問題を考えるのはかなりしんどい。例えば、当然のことではあるのだろうが、養子のもらい手は養子として引き取る子供を見てから決めることができる。男の子がいいか女の子がいいか。人種に加え、肌の色・髪の色・瞳の色までを吟味する。だからこの瞬間、子供は「授かる」ものではなく「選ぶ」ものとなる。そこに僕は最初の違和感を感じざるを得ないのだ。

自分の biological child であれば、男の子だろうと女の子だろうと、髪の色が期待と違っていようと、そして何らかの障害を持って生まれてこようとも、それら全部をひっくるめて「授かった」と考えるのではないだろうか。それが養子の場合には、夫婦の好みが如実に出る。それも露骨なまでに。曰く、絶対に男の子がいい。それも思い切り元気な子。髪はストレート。瞳はブラウン。それに当てはまらなければいらない。顔つきだって将来イケメンになりそうな子ほど引き取られる確率が高いだろう。逆に、可愛げのない顔をしていたり障害を抱えている子は、養子としてもらわれることさえないかも知れない。そういう事実と直面し、そういう可能性を考えるだけで気が重くなる。

今でも鮮明に記憶に残っていることがある。ずいぶん昔のことになるが、実家で飼っていたネコが子猫を生んだ。とはいえこれ以上はうちでも飼えないということで誰か貰ってくれる家族を探すこととなった。近所の知り合いに声をかけたり、動物病院に貼り紙をさせてもらったりした結果、何人かがぜひ欲しいといってうちを訪ねてきた。子猫たち三匹は面白い程に全く毛並みが異なっており、一匹は薄茶と白の縞の「茶トラ」、一匹はくっきりした黒い縞の「キジトラ」、そしてもう一匹は黒と灰と茶が混じった雑色だった。毛並みに名前が付いているように、茶トラとキジトラはよく見かける模様でしかもどちらも綺麗な縞をしていた。一方、いかにも雑種といった模様の子は、少年の目から見ても明らかにその毛並みは他の二匹と比べてみすぼらしかった。

そして何が綺麗で何がそうでないかというのは、人によって大差ないのかも知れない。最初に訪れた人は、「カワイイ~」という声で3匹の子猫を撫でながらも、「この子にする」と何の迷いもなくキジトラを選んだ。こうして力強い縞のキジトラはもらわれていった。次に訪れた家族も本当にネコが好きな様子だったが、やはり迷うことなく残り二匹の中から茶トラを選び取った。そして明るい色をした茶トラももらわれていった。ある程度予期していたこととは言え、毛の色が暗く貧相なばっかりに最後の一匹に残ってしまった子猫は、やはり可哀相で仕方なかった。そしてそれ以上に少年の心を傷つけたのは、その後、子猫を見に来ても「できれば違う模様のネコがよかったので」と決まり悪そうに言って、その子をもらわずに帰って行く人が何人もいたことだった。そして、「愛されない」という現実だけが残った。

最終的には優しそうな家族にその子はもらわれていったからよかったものの、そのことに安堵しながらも僕の脳裏には、「選ばれる子」と「選ばれない子」が峻別されるという事実が深く焼き付けられた。それもあってか僕はペットショップに行くのが今でも苦手だ。そこには明日にはもらわれていくだろう子と、その後ももらわれていかない子がいる。しかもここでは、「高くても買われる子」と「安くても買われない子」に区別される。買われない子の値段が次第に下げられていくのを予想し、それでも買われないとどうなるのかと想像するだけで気分が滅入る。だから、子猫や子犬だけでなく、人間の子供も、どの子も天から授かりし priceless などと考えられた時代は過去のものとなり、value のあるものと valueless なものとに線引きされていくのかと考えるだけでぞっとし、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

養子のマッチングはそれを僕に容赦なく突きつけてくる。Price the priceless. Discard the valueless. 子猫も子犬もそして子供も、買いたいものだけをクレジットカードで。そういうミライがすぐそこにある。



2010/03/08(月) | Economics | トラックバック(0) | コメント(0)

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