『アメリカン・コミュニティ -国家と個人が交差する場所』は、渡辺靖の、『アフター・アメリカ』に続く著作だ。この本の中でも、僕の知らないアメリカが多々描かれ、刺激に富んでいる。
本書を読み、僕はまず、予想だにしなかった衝撃に包まれた。その内容にではない、その極めて斬新なアプローチにだ。『アフター・アメリカ』で「地を這うような」調査をやり抜いたド根性Ph.D.が、ここでは送迎車とガイドを使い、日帰りで地域調査に当たっているではないか。なんということだ。こんなにも効率的で「空を飛ぶような」調査があったのかと。が、それでいいのだ。
本書を読み、僕はまず、予想だにしなかった衝撃に包まれた。その内容にではない、その極めて斬新なアプローチにだ。『アフター・アメリカ』で「地を這うような」調査をやり抜いたド根性Ph.D.が、ここでは送迎車とガイドを使い、日帰りで地域調査に当たっているではないか。なんということだ。こんなにも効率的で「空を飛ぶような」調査があったのかと。が、それでいいのだ。
それは、学生は足で、教授は車で、という意味では、決してないゾ。そうではなく、2冊の出発点が異なることをあらかじめ認識しておけばよい、というだけのことだ。博士論文をもとにした『アフター・アメリカ』と、雑誌連載がもとになった『アメリカン・コミュニティ』の違いだ。
そして本書には本書ならではの面白さがある。『アフター・アメリカ』では、まだ誰も見ぬ世界へと誘われ、密林の奥までかき分けていくようなドキドキ感があった。一転、『アメリカン・コミュニティ』ではその奥行きは失われる。一方で、次にどんな新しいことを見せてくれるのだろうか、というワクワク感があるのだ。そう、本書で紹介される9つの地域は、それぞれが極端なまでの特徴を有し、そこに新鮮な驚きがあるのだ。
例えば、理念を共にした人々が今も自給自足で暮らす町、宗教を超えマーケティングやビジネスの様相を呈するメガチャーチ(教会)の町、ディズニーが開発したおとぎの町、などだ。そんな特色豊な9つの事例の中で、僕にとってもっとも気になるのが、ゲーテッドコミュニティだ。数年前のNHKスペシャルで初めてその存在を知った時には、何とも言えない気味の悪さを感じた。そして、日本で新たなゲーテッドコミュニティ住宅が作られたというニュースを聞いた時には、やるせなさで一杯になった。
犯罪に巻き込まれないために。思想や信条が近い人たちと暮らしたいから。ゲーテッドコミュニティに暮らす理由は様々だろう。ただ、共通して言えるのは、信頼の喪失だ。そこには自分と異なる者の存在を認めよう、理解しようという姿勢はなく、むしろその違いに恐怖し、なるべく遠ざかりたいという意識しか見えない。その「心の扉(ゲート)」ゆえに彼らはついに、よそ者を威圧する物理的な「門扉(ゲート)」まで築き上げてしまった。
僕がいま住むアメリカにはそういう面もあるのだ。多様性を認める国、本当か?人種のるつぼ、本当か?もちろん、本書で取り上げる事例も、やはり一つの側面でしかないと言うこともできる。ただ、それが存在するという事実、そしてその一面が広がりつつあるという事実を、知らないわけにはいかないだろう。
最後に著者が総括するように、「アメリカとは」という定義づけを拒み、常に新たな一面を生み出し続ける「カウンター・ディスコース」(対抗言説)こそがアメリカの力強さであるならば、この先また新たなコミュニティが、信頼感や共有感、そして幸福感を伴って現出することを願ってやまない。

そして本書には本書ならではの面白さがある。『アフター・アメリカ』では、まだ誰も見ぬ世界へと誘われ、密林の奥までかき分けていくようなドキドキ感があった。一転、『アメリカン・コミュニティ』ではその奥行きは失われる。一方で、次にどんな新しいことを見せてくれるのだろうか、というワクワク感があるのだ。そう、本書で紹介される9つの地域は、それぞれが極端なまでの特徴を有し、そこに新鮮な驚きがあるのだ。
例えば、理念を共にした人々が今も自給自足で暮らす町、宗教を超えマーケティングやビジネスの様相を呈するメガチャーチ(教会)の町、ディズニーが開発したおとぎの町、などだ。そんな特色豊な9つの事例の中で、僕にとってもっとも気になるのが、ゲーテッドコミュニティだ。数年前のNHKスペシャルで初めてその存在を知った時には、何とも言えない気味の悪さを感じた。そして、日本で新たなゲーテッドコミュニティ住宅が作られたというニュースを聞いた時には、やるせなさで一杯になった。
犯罪に巻き込まれないために。思想や信条が近い人たちと暮らしたいから。ゲーテッドコミュニティに暮らす理由は様々だろう。ただ、共通して言えるのは、信頼の喪失だ。そこには自分と異なる者の存在を認めよう、理解しようという姿勢はなく、むしろその違いに恐怖し、なるべく遠ざかりたいという意識しか見えない。その「心の扉(ゲート)」ゆえに彼らはついに、よそ者を威圧する物理的な「門扉(ゲート)」まで築き上げてしまった。
僕がいま住むアメリカにはそういう面もあるのだ。多様性を認める国、本当か?人種のるつぼ、本当か?もちろん、本書で取り上げる事例も、やはり一つの側面でしかないと言うこともできる。ただ、それが存在するという事実、そしてその一面が広がりつつあるという事実を、知らないわけにはいかないだろう。
最後に著者が総括するように、「アメリカとは」という定義づけを拒み、常に新たな一面を生み出し続ける「カウンター・ディスコース」(対抗言説)こそがアメリカの力強さであるならば、この先また新たなコミュニティが、信頼感や共有感、そして幸福感を伴って現出することを願ってやまない。

2008/12/30(火) | Books | トラックバック(0) | コメント(0)