若き経済学者のアメリカJapan ≫ 彼女について語るときに僕の語らないこと

彼女について語るときに僕の語らないこと

稲垣早希のブログ旅を見ていて思い出したのが、わがヒッチハイク旅。日本の田舎道を歩いていて何度拾ってもらったことかと改めて感謝感謝。同じ田舎でも、東・北日本に比べて、西・南日本を旅行したときの方がずいぶんと車に乗せてもらったと記憶しているが、こういうのも地域性によるのかしら。

さてここで、稲垣早希ほどドラマチックではないけれども、今も僕の心に残る思い出のヒッチハイク、ベスト3を発表してみよう。

第3位 ヤンキー兄さんと阿蘇大爆走(湯布院→阿蘇スカイライン→阿蘇)
阿蘇スカイラインからの絶景を眺めたいがために初めて挑戦したヒッチハイクは、やはり印象深いものだ。しかしそれと同時に、ほろ苦い思い出でもある。恥ずかしさからくるヘッピリ腰。段ボールに行き先を書いたものの「いやん。そんなにこっちを見ないでぇ~」とか思いながら掲げていた。だから当然、誰も停まってくれない。スカイラインを諦めるしかないのか、というところまで追い詰められてようやく勇気を振り絞ることができた。それから僕は生まれ変わった。道路側に体重をかけ、腰に手を当て、膝に力を入れる。腕を伸ばし、その先にさらに段ボールを伸ばす。明らかに走行妨害(苦笑)。そしてついに初めての車が止まった! それは、すげぇいかつい紫色のダンプカーだったけれども・・・。

「ありがとうございます!」と何度も言いながらよじ登った助手席は、しかし想像を超えた「オトコ臭」に満ちていた。エロ本に缶コーヒーBOSS、そして充満するタバコ。そこはまさにガテン系の楽園だったのだ。そしてダンプは走り出す。しかし見ず知らずの人の車に初めて乗った僕はどうにも落ち着かない。何を話したらよいものか。それに「若い頃はちょっとヤンチャしてました」みたいな、といってもまだ20代と思しき彼を何と呼んだらよいものか。ここはオレもちょっとやんちゃして「アニキ」と呼ぶべきか、関西っぽく「兄さん」でよいものなのか。しかし、そんな悶々とした悩みなんか、僕らの目の前に広がった阿蘇の雄大な景色に完全に吹き飛ばされてしまった。うじうじしていた当時の僕に変わって、今改めて言おう。センキュー!!

mountaso.jpg



第2位 淡路の教育ママと受験討論(鳴門海峡→大鳴門橋→淡路島)
四国を旅行する頃にはもうヒッチハイクにも慣れていた。車が停まってくれる確率も高くなっていたし、車中の会話にも困らなかった。というより、そんな地元の人とのおしゃべりを楽しめるくらいにはなっていた。中でも印象深いのが、鳴門海峡を渡って淡路島まで乗せてくれた主婦。彼女によれば、こんなところでヒッチハイクするなんて、地元でもなければ大阪でもない、きっと東京の学生だろうと思ったらしい。で、そんな「東京の学生」に彼女は色々質問したかったのだ、首都圏における激烈な受験戦争の裏側をね。小学生のお子様二人を持つこの奥様はたいへんに教育熱心で、子供をどうしても東京の大学へ通わせたいという希望を持っていた。ただ、淡路島に住んでいると、いい塾というのもあまりないし、そもそも受験情報があまり入ってこないのだそうだ。だから彼女の食いつきぶりは凄かった。僕自身の塾や受験の経験、そして家庭教師や塾講師として教えた体験なんかをメモにでも取ろうかという勢いで聞いてきた。

そしてそんな話はどうやら彼女にとっては重要な情報だったらしく、僕はその後ご自宅に招かれることになる。「お昼ご飯まだでしょ」というお誘いを断るはずもなく、僕は遠慮なくお邪魔した。もちろん食事中もずっと受験に関して質問攻めだったけどね・・・。さすがにこのままだと「3時のおやつです」とか言われかねない。そう思い、僕は「まだ旅の途中なもので」とクサイ台詞を残して失礼することにした。しかし、それにしてもあの奥様、「東京の最新事情」みたいなものに影響され過ぎなのがちょっと心配だった。と同時に、あのまま話続けていれば、僕もきっと淡路島イチの教材セールスマンか、カリスマ塾講師くらいにはなれていたかも知れないな(笑)。

narutouzushio.jpg


第1位 鹿児島の社長と後継者探し(都井岬→鹿児島→佐多岬)
鹿児島の都井岬には野生馬の群れがある。日本ではあまり見ることのないそんな光景を見に行った帰り道のことだった。いつものようにヒッチハイクしていると、いつも以上に立派な車が停まってくれた。運転していたのはロマンスグレーの紳士、明らかにこれまでにないパターンだった。彼は、僕ですら社名を知っているような、鹿児島の大企業の社長だった。初めてもらったそんな立派な名刺は、僕のみすぼらしい格好とは対照的で、車の中もずっと居心地が悪かった。だから、彼の方からずっと話を続けてくれたのは僕にとっても大変助かることだったのだ。仕事のこと、家族のこと、僕にとっては相槌を打つくらいしかできなくても、彼にとっては話し相手がいるということだけでも気が楽になったのだろうか。次第に楽しそうに話をするようになった彼は僕にも話題を振ってきた。どういう旅程なのか、次の目的地は、これまで日本で行ってよかったところ等々。そして僕が翌日、大隈半島の最南端・佐多岬に行くことを知ると、少し間をおいて「それでは今晩は鹿児島市内に泊まりなさい。明日は一緒に佐多岬まで行こう」と提案してきた。こうして僕は彼に誘われるまま、一泊二日という長い時間をともに過ごすことになったのである。

そして到着した鹿児島市内の上品な旅館。もちろん食事も華があり、唯一品がなかったのは腹ペコの僕の食べっぷりくらいやね。お酒も進んだ頃、彼がおもむろに聞いてきた。「大学を出たら、どうだねうちの会社に?」と。いいですねーと適当な返事しかできない僕に、ずいぶんと会社のことを話してくれたけど、当たり前だが今ひとつピンとこなかった。そのうちさらにお酒も回り、ついに「将来、うちの娘はどうかな?」とか言い始めた親父さんと、「いや僕にはもったいないです」と何かのドラマで聞いたような台詞を返すオレ。そんなやり取りは最早酔っ払い同士でしかないのだが、あそこで僕の方から食いついていれば、今頃きっと僕は「薩摩の若旦那」とか呼ばれていたハズだ(笑)。そんなありえたかも知れない人生。翌朝、オヤジはまたロマンスグレーに戻っていた。就職の話も婿養子の話もなく、鹿児島の地元経済や豊かな観光資源について語ってくれながら、僕らはとうとう大隈半島の果て、佐多岬に到着した。彼にとっては何度目かでも僕には初めての場所だ。だから目の前の絶景にもう少しの時間浸っていたいと思い、彼の誘いを丁重に断り、僕は一人で岬に残ることにした。走り去る高級車を見送りながら、きっと彼はまた道中で若者を拾い、自分の会社と家族の後継について語り続けるのだろうと僕は思った。人生は短い。だけど次の世代に何かを残すことはできる。そして人は「自分の思いを残したい」という気持ちを強烈に持っているのだということを、僕は彼の後ろ姿から学んだのだった。

sakurajima.jpg



2010/09/23(木) | Japan | トラックバック(0) | コメント(0)

«  |  HOME  |  »

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL
http://theyoungeconomist.blog115.fc2.com/tb.php/255-e53016b0
 |  HOME  |