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『七人の侍』とアカデミズム

内田樹のエントリ「『七人の侍』の組織論」が抜群に面白い。

もっとも集団のパフォーマンスを高めるのは「若く、非力な」成員を全員で「支援し、育て、未来に繋ぐ」という仕組みをビルトインさせたシステムである


ずいぶん前になるが、『七人の侍』を映画館でリバイバル上映していた際に逃さず見に行ったことを思い出す。スクリーンの大きさは確かに迫力満点であり、しかしだからこそディテールを多々見落としていたことを、後日DVDで確認して苦い思いをすることになるのだが。

序盤で死んでしまう平八の最も分かりやすい貢献は、ユーモアに満ちた旗づくりだろう。そしてその旗は彼が倒れた後、菊千代によって高々と掲げられる。「トリックスター」である彼が旗を掲げたからこそ、武士と農民たちの思いが一つになる、そんな印象深いワンシーンだ。しかし、勝四郎の役割は確かに分かりづらい。明らかに足手まといで、お前のせいでという場面が何度もある。それでも勝四郎にしかできなかったことが間違いなく一つある。それは、「己をたたき上げる、ただそれだけに凝り固まった男」と勘兵衛に評される剣客・久蔵に心を開かせたこと。自分の剣しか信じるものがなく、他者とのコミュニケーションが欠落した久蔵に対し、勝四郎は憧れの眼差しでもって「あなたは素晴らしい人だ」と語りかける。そんな恥ずかしい台詞はこの青二才くんにしか言うことはできず、しかしこれによって少しずつ久蔵がチームプレイをするようになり、ようやく侍たちが「組織」として成立することになる。

内田が、「(勝四郎は)『残る六人全員によって教育されるもの』という受け身のポジションに位置づけられることで、この集団の point de capiton (クッションの結び目)となっている」と解釈し、「どんなことがあっても勝四郎を死なせてはならない。これがこの集団が『農民を野伏せりから救う』というミッション以上に重きを置いている『隠されたミッション』である」という指摘は面白い。そしてそれを、得意の「贈与論」と絡めて、冒頭の「高パフォーマンス組織の仕組み」として締めくくる辺りがサスガの内田節。

そういう視点から後継者育成というものを捉え直すのは新鮮だ。なぜユニクロ柳井正がこれまで二度も失敗したのか。そしてなぜ今またさらなる時間と予算をかけて三度目の後継者育成に取り組んでいるのか、そしてその事業の行く末は?ソフトバンク孫正義にとっても同じ心境なのかも知れない。

そしてそれはビジネスだけでなく、アカデミズムにも当てはまることではないだろうか。多くの弟子を育てグループとしてパフォーマンスをあげている研究者がいる一方、個人の能力は抜きん出ていても「未来に繋ぐ」語り部を得ることがなかった研究者もいる。後者の典型例がクルーグマンだろう。クーリエ・ジャポンにこんな記述がある。「有名な学者であるにもかかわらず、彼のもとで学ぶ大学院生は少ない。なぜなのかは本人にもわからないようだ。(中略)いずれにせよ、クルーグマンの遺産が彼の小さな分身たちによって広められていくということはなさそうだ」。内田が言うように、侍たちが「自分のスキルや知識を彼のうちに『遺贈』することによって、おのれのエクスペンダブルな人生の意味が語り継がれることを彼らが夢見ている」とするならば、そんな侍たちと比較してクルーグマンは今、なにを夢見ているのだろうか。

ひるがえってオレ。アカデミズムもしくは研究グループの末端にいる、いわば勝四郎側のボクにとってできることは、自分のアドバイザーに向かって目を輝かせながら「あなたは素晴らしい人だ」と言うこと、ではないと思う・・・。でも、そんなオレを「支援し、育て、未来に繋ぐ」ことはあなたの研究者人生を豊かなものにするはずでっせ、と匂わせるくらいはいいかしら?「若く(もないけど)、(間違いなく)非力な」自分は思わずそうつぶやいてしまったのだった(笑)。




2010/11/29(月) | Others | トラックバック(0) | コメント(0)

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