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Ph.D. がいらなくなる日

後藤新平の当時の活躍を見るたびに、あの人物を連想しないだろうか? 先日のニュースで、MITメディアラボ新所長に就任(New York Times)と報道された、伊藤穣一(Joi Ito)である。明治の時代、国を運営する主要ポジションがほぼ薩長閥で抑えられる中、岩手・水沢出身の後藤は明らかに傍流であった。それは、インターネットをアメリカが制する現代において、Joi が辺境である日本出身であることと類似する。


そして、正統な教育を受けずに育った後藤新平と、Ph.D.やMBAどころか、二度のドロップアウトを経験し学士号さえ取得していない Joi。そんな二人が、次第に政治やビジネスの中心へと歩みを進めてきた背景には、時代に先じたビジョン、その実現に向けて走り続けるエネルギー、そして思いを共にするネットワーク、が共通してあるように感じられる。

一方で、当然のことながら、明治時代の日本と現代のアメリカでは、決定的に状況も異なる。当時の日本は何よりも欧州列強へのキャッチアップと殖産そして富国が喫緊の国家的課題であった。そのためには優秀な人材はいくらいても足りず、だからこそ傍流の後藤新平にも活躍のチャンスが巡ってきたのだ。翻って現代のアメリカとMIT。ネット時代の頂点と言ってもいいその場所において、なお辺境からの人材を登用するという点に、僕はこの国と組織の凄みを感じるのだ。

それは油断するとすぐに追いつかれるという危機と恐怖から来るものなのかも知れないし、次の時代も自分たちが制しようという意欲と執念の表れなのかも知れない。もちろんそのどちらでもある可能性も大きい。しかしいずれにしろ、未来に向けてさらに、そして自ら進歩の回転を早めていこうというその姿勢には、畏れを感じる一方で、恐れを持っていはいけないと自分を奮い立たせるより他ない。この国は、やっぱり凄味が違う。




2011/05/26(木) | America | トラックバック(0) | コメント(2)

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(元)ロンドン在住学生

『No title』

この事例から考えると、大学での学位の取得は人的資本蓄積なのかシグナリングなのかどちらでなんでしょうか…?考えるほどこんがらがってしまっております…。

2011/05/29(日) 10:25:20 | URL | [ 編集]

tamago

『Re: No title』

こんにちは、お久しぶりです。やっぱり両方の側面があるかと思いますが、人によってはその両方とも必要ない(起業等の別の方法で達成できる)ということなのでは。

2011/05/29(日) 14:11:48 | URL | [ 編集]

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