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日本語4

学生同士とはいえ、日本語を教える側に立って、初めて「日本語」というものを意識して考えるようになった。そこで、各種メディアで話題になっていた水村美苗『日本語が亡びるとき』(著者メッセージ)を読んでみた。

著者の指摘する「<学問の言葉>が英語という<普遍語>に一極化されつつある事実」はまさにその通りだろう。僕のいる経済学の世界においても、トップジャーナルは全て英語だし、これは経済学以外の学問(とくに science )にも共通して言えることだ。

さらに著者は、これは学問の世界に限った話ではない、と続ける。英語という<普遍語>でものを書けるのであれば、その人は英語で書くだろう、こうして人類の叡智は英語に集約されていく、という指摘だ。これも実感を伴って同意できる。なぜ僕は「日本語」でブログを書くのか?もし僕が日本語と同じように英語という<普遍語>に堪能で、かつブログを読んでくれる友人や家族もまた同じように英語で読み書きできるのであれば、間違いなく僕はその<普遍語>で書く。ただ、そこまで<普遍語>を使いこなせていないということだ。

著者の洞察は、日本文学の豊かさが、<国語>としての日本語の豊かさに起因する、ということである。逆に言えば、その<国語>の衰退が究極的には文学の亡びにつながる、と憂う。だからこそ、その豊かな文学を守るためにも、<国語>の継承が必要になるというものだ。

ここで僕がはたと考え込んでしまうのは、次の2点が僕の中でクリアでないからだ。一つは、日本語という<国語>でしか表現できない豊かさとは何か。もう一つは、「日本人」が<普遍語>で新たな豊かさを生み出すことはありえないのか。この2つがクリアになれば、また別の、そしてもう少し明るい未来が見えてくるのではないかと思うのだ。

文学のことになると残念ながらあまり話せることはないのだが・・・。しかし、いずれにしても、英語という<普遍語>が世界を覆う時代に僕は生きていて、その言葉なくしては生きられない国にいま住んでいる。すぐに答えが出るとも思わないが、著者が指摘することは僕自身がこの先考え続けていかねばならないことなのだ。





2009/01/06(火) | Japan | トラックバック(0) | コメント(0)

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