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ベストセラーで振り返る日本の雇用・労働・就職のこの十年

昨年末に書いた、日経・経済図書文化賞受賞作『「就社」社会の誕生』(菅山真次)および『若年者就業の経済学』(太田聰一)についてだが、同賞の過去受賞作も合わせて振り返ると、この十年間で日本経済がどう推移してきたのかが改めてクリアに分かるようだ。そして、とくにそれが顕著なのが労働経済学がカバーする分野すなわち雇用・労働・就職であるように思う。

「就社」社会の誕生 -ホワイトカラーからブルーカラーへ- 若年者就業の経済学

2005年には『日本の不平等』(大竹文雄)が、そして2002年には『仕事のなかの曖昧な不安』(玄田有史)が、当該年の日経・経済図書文化賞およびサントリー学芸賞をそれぞれダブル受賞している。そしてこれまでの十年間とは、玄田が述べた「曖昧な不安」が顕在化したディケイドと言うことができるように思う。それが不平等や格差をともなって、想像を超えた速度と深度で進んだ時代だ。

日本の不平等 仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 (中公文庫)


その変化を見るには、1999年のベストセラー、『パラサイト・シングルの時代』(山田昌弘)まで遡ると分かりやすい。その頃から徐々にではあるが確実に、若者の働き方・暮らし方・生き方が変わりつつあると認識されるようになったのだろう。山田はそれをいい大人になっても両親に寄生(パラサイト)する若者の考え方の変化だと主張し、社会の病巣だと批判した。

2001年末、玄田はその著書『仕事のなかの曖昧な不安』の中で、若者の働き方が変化した背景にあるのは、需要者である企業側の変化であり、若年層は構造的に仕事を失いつつあるのだと、山田に対する反論を提示した。しかし本書の最大の功績は、その反論内容と言うよりはむしろ、当時の雇用環境を覆う暗雲を、曖昧なままとはいえ「曖昧な不安」として言語化したことではないかと個人的には思う。

しかし、翌2002年という年は、日韓W杯に日本国中が熱狂し、小柴昌俊および田中耕一両氏によるノーベル賞のダブル受賞下線は当時の流行語)に湧いた一年でもあった。その興奮から覚め、この「曖昧な不安」に気づくには、更にもう一年待たねばならなかったのである。

2003年、『年収300万円時代を生き抜く経済学』(森永卓郎)は、玄田が地味に言語化した「曖昧な不安」を、今度は(適当ではあっても)ショッキングな程に数字化してみせたことで爆発的なヒットを記録。年収300万円という現実を今自分の目の前に突き付けられ、それはもう曖昧な不安などではなく明確な危機として認識されるようになった。

2004年、「勝ち組」「負け組」という呼称が浸透し、勝ち組の象徴・堀江貴文が『稼ぐが勝ち』と世間を煽った。堀江はこの年には新規参入、翌年には想定内で流行語を受賞し、「人生ゲーム M&A」が発売される程にお茶の間を賑わせた。それと同時に、負け組と『負け犬の遠吠え』(酒井順子)は自己責任によるものという風潮が当たり前となった一年だった。好むと好まざるとに関わらず、誰もが『働くということ』(日本経済新聞社)を考えねばならなかった。

2005年、そんな勝ち組たちの実生活を覗きたいと多くの人が手に取ったのが『日本のお金持ち研究』(橘木俊詔・森剛志)。また、「金持ち」という下品な言葉に代わって「富裕層」という(もっと下品な)言葉が提案されたのもこの年である。一方の負け組たちを待ち構えていたのが『下流社会』(三浦展)。その流れは止まる気配もなく、国民ひとりひとりの下流化は即ち国家の下流化であると警鐘を鳴らしたのが『国家の品格』(藤原正彦)だった。

2006年も品格論争は(品格なく)続き、橘木俊詔が『格差社会』で描いたように、事態は一層深刻化した。今まで対岸の火事と思っていたアメリカの格差社会こそが日本の未来像だという意識から、『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美)および『貧困大国アメリカ』(堤未果)がヒットし、NHKの特集『ワーキングプア』も話題をさらった。発展途上国でこそ使われていた「プア」「貧困」と言った言葉が現代日本に登場することになるとは一体誰が想像しただろうか。

2007年になると今度は日本に「難民」が漂着する。『ネットカフェ難民』(川崎昌平)だ。格差そのものをなくすことはほぼ不可能という認識から、せめて階層の固定化を防ごうという議論へと次第に論調は変わっていったが、所得に端を発した格差は「希望格差」「意欲格差」「教育格差」「進学格差」「結婚格差」「セックス格差」まで、あらゆる場面で乗り越え難い断絶が固定化されていった。

2008年、『反貧困』の湯浅誠が指揮した年超えの派遣村はまだ記憶に新しい。この年、昭和四年に発表された『蟹工船』(小林多喜二)が売れに売れたのは、明らかに異様な光景であった。『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』で、アウトサイダーとして生きていく道を示した城繁幸だが、それが新しい幸せだと信じた人は少なかった。

2009年になっても派遣切りは続き、下流・プア・貧困層への人口流入が加速する。それら社会人より若い層においても、高校中退・日雇い・野宿・ホームレスの数が増え続けた。そんな『最底辺』(生田武志)を対象とした『貧困ビジネス』(門倉貴史)が盛んになったことは、ついにこの層がマーケットとして十分に魅力的な規模に達したことを示していた。

2010年、『日本の不平等』(2005年)の大竹文雄は『競争と公平感』を、『仕事のなかの曖昧な不安』(2001年)の玄田有史は『希望のつくり方』を上梓。それぞれの前著からは一転し、今回は書名にポジティブな言葉をもってきたことが興味深い。しかしそれは、すでに社会の隅々にまで浸透してしまった不公平感と不幸感の裏返しとも言える。それを裏付けるかのように、この年NHKの特集『無縁社会』が大きな反響を呼んだ。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット (中公新書) 希望のつくり方 (岩波新書)


2011年3月11日、東日本大震災。。そして『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿)ではついに「絶望」という言葉が現れた。そんな空気を「革命前夜」と捉えたのが、WOWOWの連続ドラマ『パンドラIII』だった。こうして2011年は幕を閉じ、2012年が始まった。

改めてこの十年間を振り返り、大きく様変わりした社会を思う。しかし、これらの書名や特集名をざっと眺めるだけでも、いかに著者・編集者・出版社・放送局がその社会変化を、品も格も恥も外聞もなく煽ってきたのかと思う。僕らが本当に絶望したのは、そんな彼ら彼女らの、その貧困なセンスとプアな発想そのものなのかも知れない。




2012/02/27(月) | Books | トラックバック(0) | コメント(0)

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