若き経済学者のアメリカBooks ≫ 百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』と清々しい一陣の風

百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』と清々しい一陣の風

百田尚樹の最新刊『海賊とよばれた男』で描かれる、戦前・戦中・戦後という激動の時代を常に前向きに逞しく駆け抜け、そしてなによりも「正しく」闘い続けた国岡鐵造(モデルは出光興産の創業者・出光佐三)の生き様に強く胸を打たれた、と書いたばかりなのに・・・。





百田尚樹のデビュー作『永遠の0(ゼロ)』を読んだら、今度はもう涙が止まらなかった。全く異なるテーマを、全く異なるアプローチで構成しているにも関わらず、ここまで読ませる作者の力量にただひたすら感服した。

同作は既に映画撮影が終了し今年冬に公開されるようだが、残念ながら個人的には、岡田准一主演というのも、「60年間封印されていた、大いなる謎ー時代を超えて解き明かされる、究極の愛の物語」というメッセージも、僕の読後感とはずいぶんと異なるし、原作のよさが引き出されていないような気がする。映画化に当たって大幅に脚色しているという可能性もあるのではないだろうか。

eiennnozero.jpg


さて、本作『永遠の0(ゼロ)』のテーマは、太平洋戦争で米軍を震え上がらせた日本海軍の零式戦闘機、つまり「ゼロ戦」である。そのゼロ戦に乗り込み、終戦間際の特別攻撃隊(特攻)の一員として散華した宮部久蔵がその主人公だ。「究極の愛の物語」という映画の宣伝文句とは異なり、本書ではむしろ戦時下における「究極の生き様」にフォーカスが当てられる。その意味では、『海賊とよばれた男』と同様に、作者・百田尚樹は男の生き様を描くのがとことんうまい。解説で児玉清は次のように書いている。

デビュー作である本書『永遠の0』と出会えた時の喜びは筆舌に尽くし難い。それこそ嬉しいを何回重ねても足りないほど、清々しい感動で魂を浄化してくれる



この言葉が大げさとは思えないのは何よりも、国民学校六年生として敗戦を迎えた児玉自身にとって、その記憶は今なお生々しく残り、「日本の世界に誇るエースであった零戦への憧れ」が今も児玉の「胸の奥底に沸沸と熱く滾っている」からであろう。

本書の主人公・宮部久蔵は、当時最高の操縦技術を持ち、零戦エースパイロットとして周囲から一目置かれていた。しかしその人物評は定まらない。可能な限り戦闘を避けようとする「臆病者」でもあり、パラシュートで逃げる丸腰の米軍パイロットに容赦なくとどめを刺す「卑怯者」でもあり、上官に楯突いてまで部下を守る「正義漢」でもあり、戦争の大局を見通す「戦略家」でもあった。また米軍側から見た宮部は、圧倒的な存在の「デビル」であり、敬意を表すべき「サムライ」でもあった。

ただ当時の関係者がそろって口を揃えるのは、宮部は常に「生きて日本に帰る」と言っていたということである。決死玉砕という状況の中でそのことを人前で口にするのは、それこそ自殺行為であったはずなのに、そこまで宮部が生に執着したのはなぜか、そしてそんな宮部がなぜ最後は特攻という選択をしたのか?ストーリーは、現代に生きる宮部の孫がその謎を解こうと取材を重ねる、という形で展開していく。物語の最終章で明かされる宮部の最期の謎は、決して読者の予想を裏切るというものではない。むしろやはりそうだったのか、そして、そこまで強い思いだったのかと読者の心の内にぐっと迫るからこそ、児玉の言う「清々しい感動」が生まれるのだ。


もし百田尚樹の作品をまだ読んだことがないならば、ぜひこのデビュー作『永遠の0』から読むことをおすすめしたい。なぜなら、もう一つの傑作である『海賊とよばれた男』において、宮部久蔵と国岡鐵造が一瞬だけ交差する舞台を作者は用意しているのである。言葉を交わすことはなかったものの、太平洋戦争の真っ只中、今この場でこの二人の誇り高き日本人がその空気と時間を共有したんだということに、僕の目からまた涙が溢れ出た。戦う相手こそ違えど、宮部も国岡も、確固たる思想のもと戦い抜いた。その考えはときに多くの敵をつくり批判を招いたが、それ以上の仲間を得て次の世代に影響を残した。そんな彼らの生き様が、何よりも清々しい。





2013/02/26(火) | Books | トラックバック(0) | コメント(0)

«  |  HOME  |  »

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL
http://theyoungeconomist.blog115.fc2.com/tb.php/581-78725bf9
 |  HOME  |