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English (writing) (続)

僕のエッセイで一番欠けていると彼女に指摘されたのは、"flow" だ。読んでいて至る所でつっかえる、ということらしい。文法的な間違いはとくにないし、構成もしっかりしている。でも、リズムよく流れるようには読めないということなのだ。そんなこと言われても難しいし、ここまでボロボロに直されたら、さすがにカチンと頭に来るゼ。おいこら小娘、年上を敬え!と言いたくもなる。

だけど、彼女の修正意図を一つ一つ聞いていくと、腹の底から納得してしまうんだよね。それくらい素晴らしい添削なのだ。僕も今まで様々な人に自分のエッセイを読んでもらい添削してもらってきた。友人知人に見てもらうこともあれば、ネットの有料サービスを利用したこともあるし、大学のライティングサービスにも通った。だが、彼女の添削はその中でも群を抜いてナンバーワンだ。

それでは添削内容の何が違うのか?いくつかある。まず初めに彼女の理解力。僕がエッセイの中で何を伝えたいのか、をよく分かってくれている。また分からない点があれば、しつこく質問をしてくる。せっかく添削してもらっても、自分が言いたいこととちょっとズレてるんだよなぁという経験をこれまで何回もした。添削者の理解が色濃く出てしまい、まるで自分の書いたものではないように思えてしまうのだ。それが彼女の修正にはない。そうそう、僕はまさにソレを言いたかったんだよ、という添削内容なのだ。

もう一つは、単語・熟語の使い方。自分が使いそうもない語彙や言い回しに修正されると、なんだか落ち着かない。洗練された単語や、洒落た熟語に直してもらっても、自分のエッセイではないように思えてしまうのだ。つまり、添削に対する満足度は、レベルの高さではないのだ。自分の力よりもちょびっとだけレベルが高い文言に修正されて初めて、あぁこれこそ僕自身の書きたかったものだ、と感じるのだ。その点も彼女の優れていたところだ。僕がいまひとつ納得しない点を伝える度に、添削の仕方そのものを軌道修正してくれていったように思う。

最後に、彼女が「小娘」であることが実は大きなポイントだと思った。もちろん「小僧」でも構わないんだが。添削サービスやライティングセンターの人たちは、経験豊富なのだが、それがむしろマイナスに働くこともあるように感じるのだ。留学生や日本人のエッセイを何回も見てきた経験や教えてきた経験から、「こう言えばいい」という修正の仕方が定式化されているように思うことが度々ある。彼女にはそんな経験がないから、僕のエッセイに対し、僕の言いたいことに対し、極めてカスタマイズした形で添削してくれた。それが本当にありがたい。また、経験豊富な人たちは、留学生にここまで期待してはいけない、ここまで細かく指摘しては悪い、という意識があるように思う。添削経験のある「大人」だからこそ、「大人の配慮」みたいなのを感じるんだよね。でも、それは語学学習には大きな弊害だろう。英会話だって、10歳くらいの子供たちと話すのが一番いい訓練になると言うではないか。僕が受けた一連の添削も全くと言っていいほど、(不必要な)「心遣い」がないわけだ。でなければ、あんなに真っ赤には修正できないよな。

カチンと頭に来て始まった彼女の添削だったが、いつのまにかガツンとやられたね。そのおかげで何枚も目からウロコが落ちたし、リズムよく流れる躍動感のある文章になったと、今は感謝の気持ちで一杯だ。今後ともキビシクお願いいたします。




2009/06/16(火) | English | トラックバック(0) | コメント(0)

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