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巨編『ソロモンの偽証』で描く、宮部みゆきの怒りと凄み

宮部みゆきが5年ぶりに放った社会派現代ミステリーの大作『ソロモンの偽証』。厚手のハードカバー3分冊もの量があるにも関わらず、一気に読みきってしまった。最近、普段はあまり読まない日本の小説を続けて読んでいるのだが、その中でもずば抜けた疾走感を伴って読んだ作品だった。


・百田尚樹『海賊とよばれた男』と少年の大志

・横山秀夫『64』と過去を直視する勇気

・原田マハ『楽園のカンヴァス』がすごくイイ


この『ソロモンの偽証』の舞台は中学校だ。クリスマスの夜、一人の生徒が屋上から転落死した。自殺か他殺か?いじめとの関連は?そういう極めて現代的な題材だけでなく、学校で生徒による公開裁判が開かれるという展開、次々と出てくる新たな証言、そして最後に辿り着いた真相は・・・。


先日読んだ重松清の『十字架』も、中学校での自殺を扱ったものだった。しかし、同じテーマを扱いながらも、ヒューマンドラマとして仕上げる重松と、社会派ミステリーに仕立てあげる宮部。全く異なるアプローチで、どちらも見事という他ない2作品だと思う。

・重松清『十字架』と自殺と「ともだち」の意味


本作『ソロモンの偽証』で感じたのは、宮部の怒りである。凄まじいまでの怒りと、凄みを利かせた睨み。宮部のそういう意識を意識し、背筋に冷やりとするものを感じながら読まざるを得ない、そんな緊張が最後まで続いた。



現代の学校を覆う閉塞感への怒り。聖職者然とする教師たちへの怒り。乱暴に介入する保護者に対する怒り。そしてそんな炎上を待ってましたとばかりに現れる新聞記者やテレビ番組ディレクターに対する怒り。しかし、宮部の怒りはそれにとどまらない。

もう一つの、そして本作を執筆するに当たっての宮部の究極の怒りに気づいてしまい、僕は完読後の震えが止まらなかったのである。つまり、宮部の最大の怒りとは、われわれ読者に向けられているのだということである。間違いない。


現代ミステリーから時代小説までを手がける多才な宮部みゆきだが、ここ数年の作品群を見ても、本人は恐らく江戸時代の庶民を描くほうが好きなんだろう。しかし我々は、『火車』『模倣犯』に代表されるミステリーの新作を常に渇望し、宮部の才能と時間と筆を全て現代ものに費やしてくれと、そう心のなかで願ってきた。そこに宮部は怒っているんだよ。間違いない。多分。

だから本作は、そんな我儘な読者への最後の贈り物なのだと思う。「私はもう現代モノなんか書かないからね」という捨て台詞とともに。断言しよう、宮部はこの先、彼女のエネルギーのほとんどを大好きな時代モノに注ぐことになるだろう。僕らはもう彼女の社会派ミステリを読むことはないのだ、と覚悟せねばならないのだ。間違いであって欲しいけどね。









2013/04/24(水) | Books | トラックバック(0) | コメント(0)

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