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遠いところにあるように見える、アカデミックとアートという二つの世界。実はこの二つは、今学期とくに印象に残った、literature という言葉を通して見ると驚くほどよく似ている。まず何よりも新規性が最重要である点。この論文の新しさは何かという問いは、この作品の新しさは何かと問うことと全く同等だ。そして次に、その新規性が literature に基づいている点。目新しければ何でもよいという世界ではない。過去の蓄積の上にさらに積み上げた新規性でなければ意味がないのだ。だからこそ、研究の経緯を知ること、美術の歴史を知ることが大事なのだ。

アートの世界でこのことを明確に意識した数少ない日本人が、村上隆なのではないだろうか。周知のように彼はいまや「世界のムラカミ」であり、その作品が記録的な金額で競り落とされている。それでは村上隆は、ムラカミ以前の日本人作家と何が違うのか。もちろん作品も作風も全く違うのだが、その中でも違いを際立たせているのが、自分の作品を自ら「発信する」という意識だろう。彼は明確な戦略を持ち、その作品や作風を、西洋美術史という文脈の中で自ら積極的に位置づけてきた。これは、葛飾北斎の浮世絵から、伊藤若沖の色彩画、北野武の映画まで、日本の作品の数多くが欧米の芸術史家や評論家に「発見され」てきたことと比べると、いかにも対照的だ。

だから、彼は(日本で)嫌われる。作品ではなく彼のその考え方が。マーケティングの臭い、マネジメントの匂い、そしてその結果としての金のニオイが。しかし、それは日本のアート産業とアーティスト全体にとっての不幸でもあり、世界級の人材が育たない理由でもある。金について語るアーティストは不純なのか?純(ピュア)な気持ちで創作していれば世界が認めてくれるのか?

これはアカデミックの世界でも全く同じなのだ。自分の(論文の)価値を自らの手で、literature の中に位置づけていかねばならない。このことをこの冬の job market を見ていてつくづく感じた。アカデミックポジションを目指し、プレゼンする若きPh.D.達。その内容はまた別途まとめようと思うが、一言でいうと、「自分を売り込む」という意識がびんびんに伝わってきた。村上隆が言うところの「ゲーム」と「ルール」をPh.D.一人一人が理解し、自分こそが最高の「プレイヤー」だと声高に主張する。そう、アートもアカデミックもまさに、market なのだ。刻々と変化するルールを理解し、最高の一手を放つ者こそがゲームの勝者となり、market の最高値で自分を売る。

どちらの世界でも、戦略に長け、あざとくなければ生き残れない。でも、あざとい奴は(村上隆のように)嫌われる。あぁ困った困った、困ったなぁ~。優男くんじゃあダメですか? ジェントルじゃ生き残れませんか??


芸術起業論



2009/06/22(月) | Art | トラックバック(0) | コメント(0)

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