ロサンゼルスを出発した僕の今回の旅のゴールはシアトル。米国西海岸の南から北まで、途中寄り道をしながらの縦断ドライブは合計2,750km におよぶ長い旅路となった。

この旅でとくに訪れたいと思っていたのが、日系人収容所の跡地。第二次世界大戦下、カリフォルニア/オレゴン/ワシントンの西海岸各州とハワイに在住していた日本人移民約12万人が、敵性外国人として全米10ヶ所の収容所に強制移住させられた。
今回の旅の中で僕が訪れたのは、カリフォルニアの砂漠の中にあるマンザナー収容所跡地と、カリフォルニア/オレゴンの州境にあるツールレイク収容所跡地。ノーマン・ミネタ・ヨシオ氏がいたハートマウンテン収容所と最近そこに開館した資料館にも足を運んでみたかったのだが、さすがにワイオミング州までは行く時間がなかった。

この旅でとくに訪れたいと思っていたのが、日系人収容所の跡地。第二次世界大戦下、カリフォルニア/オレゴン/ワシントンの西海岸各州とハワイに在住していた日本人移民約12万人が、敵性外国人として全米10ヶ所の収容所に強制移住させられた。
今回の旅の中で僕が訪れたのは、カリフォルニアの砂漠の中にあるマンザナー収容所跡地と、カリフォルニア/オレゴンの州境にあるツールレイク収容所跡地。ノーマン・ミネタ・ヨシオ氏がいたハートマウンテン収容所と最近そこに開館した資料館にも足を運んでみたかったのだが、さすがにワイオミング州までは行く時間がなかった。

あ
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そのマンザナー収容所は、カリフォルニアのはずれ、シエラネヴァダ山脈のふもとにあり、ロサンゼルスからも相当遠い。以下の写真を見ても分かるように、周辺に集落らしいところは何一つない。ここを走る車も少なく、この収容所跡地と資料館を訪れる人くらいしかいないように思う。
資料館自体はかなりの展示物を保存しており、インタビュー映像等を含め当時の様子が分かる内容となっている。僕が訪れたときは、日本人訪問者は他にはいなかったようだが、それでも米国人らしき訪問者が20人程度は来ていた。
この収容所跡地は、現在ではその建物の一部が再現されている他、当時の地図をもとに、ここは学校だったとか、ここに集会場と病院があったといったことが解説されている。当時1万人を超える日系移民が住んでいただけに、収容所全体は広く、資料館の外は車でゆっくりと走りながら、一つ一つの建物跡を見ていくこととなる。
この収容所での実際の暮らしぶりや、アメリカ国籍を持つ日系二世の葛藤といったものは、小説やドラマで描かれていた通りなのではないかと想像する。僕も山崎豊子の『二つの祖国』や、真保裕一『栄光なき凱旋』を読んでいなかったならば、これほど遠くにある強制収容所まで行ってみたいとまでは思わなかっただろう。
いま米国に住んでいる日本人、そしてこれから留学や赴任する予定の日本人にとって、知っておいてよい日系人の歴史だと思う。僕自身もっと早くに訪れる機会をつくるべきだったと思っている。
<関連エントリ>
・"9.11テロ" に立ち向かった日系人
・星条旗の下に生きたヒバクシャたち





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そのマンザナー収容所は、カリフォルニアのはずれ、シエラネヴァダ山脈のふもとにあり、ロサンゼルスからも相当遠い。以下の写真を見ても分かるように、周辺に集落らしいところは何一つない。ここを走る車も少なく、この収容所跡地と資料館を訪れる人くらいしかいないように思う。
資料館自体はかなりの展示物を保存しており、インタビュー映像等を含め当時の様子が分かる内容となっている。僕が訪れたときは、日本人訪問者は他にはいなかったようだが、それでも米国人らしき訪問者が20人程度は来ていた。
この収容所跡地は、現在ではその建物の一部が再現されている他、当時の地図をもとに、ここは学校だったとか、ここに集会場と病院があったといったことが解説されている。当時1万人を超える日系移民が住んでいただけに、収容所全体は広く、資料館の外は車でゆっくりと走りながら、一つ一つの建物跡を見ていくこととなる。
この収容所での実際の暮らしぶりや、アメリカ国籍を持つ日系二世の葛藤といったものは、小説やドラマで描かれていた通りなのではないかと想像する。僕も山崎豊子の『二つの祖国』や、真保裕一『栄光なき凱旋』を読んでいなかったならば、これほど遠くにある強制収容所まで行ってみたいとまでは思わなかっただろう。
いま米国に住んでいる日本人、そしてこれから留学や赴任する予定の日本人にとって、知っておいてよい日系人の歴史だと思う。僕自身もっと早くに訪れる機会をつくるべきだったと思っている。
<関連エントリ>
・"9.11テロ" に立ち向かった日系人
・星条旗の下に生きたヒバクシャたち





2013/07/10(水) | America | トラックバック(0) | コメント(3)