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日本語(短歌)

東京の出版社から国際小包が届いた。何かしらと思い開けてみると、素敵な装丁の本が納まっていた。お世話になっている先輩のお母様がはじめての歌集としてまとめたものだそうだ。わざわざアメリカまで送って頂き、本当に有難いと感謝。それにしても、何とも上品な一冊だと思う。表紙には濃淡のついた青い夜空に細長く横たわる月。そして金色に彩られた『月明かり雨』の歌集名。表紙カバーを外した際の質感もよく、中の頁にはところどころ口絵が挿まれている。それらが合わさって優美さを醸しているように思う。

子育てを終えてから本格的に作歌を始めたそうで、各方面で活躍する子を思う歌や、家族での旅先の歌、もう一つの趣味である能や歌舞伎を歌ったもの等が収められている。僕自身は、短歌にこれまで縁がなく作歌の経験もない。だからこの世界ではどんな歌が優れていると認められるのかは、分からない。それでも一首ずつ詠んでいくと、僕の内で力強くイメージが湧き起こるものがいくつもあり、その感覚が心地よい。600首以上が収められた中から、とくに印象に残ったのが以下のものだ。

 摺り足の足袋の運びの美しくその白に照る能舞台の灯

 四万川に激つ瀬音のたかまりて月明かり雨針ながく降る

 朝市にむきて食べむと甘えびの透ける身すすぐ水の冷たさ

 晩夏はや鉄の扉に付く空蝉の殻のなかにも夕茜さす

 働くこともうなくなりし母の指老いて柔かし爪切りてやる



2つ目の歌から、歌集名『月明かり雨』をとったそうだ。そしてこれらの歌とともに心に残るのが、あとがきにある次の一節だ。

歌をつくるようになって、普段何気なく見過ごしてきたもの、何気なく過ごしてしまっていた時間、というものに目を向けるようになりました。短歌という窓を通してみる自然や世界、そこにある万物の営みの美しさ、かなしさは、それまでとはまったく違っていて、私にもうひとつの豊饒な時間が与えられたのだと感じています。



これが強く印象に残ったのは、ここに日本(もしくは日本語)の豊かさを見るからだ。そしてその豊かさは、僕が今いるアメリカでは意識されないもの、または意識して無視されるものだからだ。自然の営みをとってみても、地球温暖化や気候変動に対する政策自体、自然は control できるものという前提に基づく。人間の営みとなればなおさらだ。メカニカルに、市場は predict できるものであり、組織は manage できるものであり、実績は valuate できるものなのだ(近年はずいぶんそれが揺らいでいるけれども)。そこには、「万物の営み」という発想もなければ、「美しさ、かなしさ」も存在しない。それがアメリカなのだと改めて思う。

と同時に、それらが存在しないこと自体が、アメリカの存在意義なのだとも思う。司馬遼太郎が『アメリカ素描』で明確に述べたように、日本という国(nation)と、アメリカという国(states)の成り立ちからして、すなわちこれらの語源からして、際立つ違いなのだ。

留学してアメリカのよさを体感する一方で、日本のよさにたくさん気づいたとはよく聞く。そして今はその気持ちがよく分かる。そうした目線でもう一度、水村美苗の本を読み、日本と日本語の持つ豊かさについて改めて考えてみたいと思う。


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2009/06/30(火) | Japan | トラックバック(0) | コメント(0)

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