若き経済学者のアメリカ ≫ Class

5月、雨

初夏の陽気が一転、冬の寒さに逆戻りする日もある、そんな不安定な季節を迎えた。そして期末試験。試験を終えた後の感触としては、中間試験よりはできただろうというものと、それでも目指したところまでは届いていそうにない、というものだ。天気と同じく、気持ちもほんのわずかの陽気がかなりの陰気に覆われている。

そして戻ってきた結果も、予想の通りだ。結果、学期を通した成績としては、残念なものと言わざるを得ない。本当に長く感じられた、しんどい学期だったと思う。多くの論文を読み、研究の発展経緯を知り、学んだことは多い。それと同時に、吸収し切れず、手のひらからこぼれ落ちてしまったものも数多くある。自分の手がいかに小さいか、キャパシティーがどれだけ少ないかをまざまざと見せつけられてしまった。少しの休みを取り、頭をリフレッシュさせたら、もう一度しっかりと授業内容を復習し直さなくては、と思わずにはいられない。今日も、雨。


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2009/06/04(木) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

4月、春「不」眠覚暁

いよいよ今学期の後半が始まる。授業の前後半で扱うトピックが大きく変わることもあり、気分を「リセット」するにはいいタイミングだ。あとはきちんと「リスタート」できるかどうかだ。前半の反省を踏まえ、この後半では、授業の基本に立ち返り、基礎をしっかり固めていこうと決意を新たにする。うさぎのように早いクラスメイトを意識しても意味がない、僕は亀のスピードで行くぞ。そう思うと少し気分が楽になった。うん、セルフコントロール上出来!

とはいえ、実際の授業は引き続きしんどい。英語もプログラミングも、まだまだ足りず、それこそ眠い目をこすりながら深夜・早朝まで格闘する日々だった。日本の4月と言えば、天気もよく新年度が始まり気分も上々だ。月末からはゴールデンウィークが始まることもあって、浮き浮きすることもあったのを思い出す。一年前とはまるで別世界のような春を過ごしていることに対し、しばし不思議な感覚に包まれるようだった。

一年を振り返っても、最も勉強したのがこの4月だったのではないだろうか。期末試験でも苦戦するようだとかなり厳しいゾという危機感と、自分の内にある漠とした不安感を吹き払うためにも、懸命だったように思う。時間をかけたことは間違いないが、今学期前半と一番違ったのが集中力ではないだろうか。レクチャーノートのこの部分をきちんと理解するという意識、宿題のこの問題は納得するまで時間をかけるという意識で臨んだ。

また、先学期では成績がぱっとしなかったクラスメイトの一人が、今学期に入り急速に力を付けているのも、いい意味で大きな刺激になった。授業中に見られる彼の態度は、今学期当初から明らかに違っていた。まさに真剣そのものといった目つきだ。実際、中間試験の成績も大きく伸ばしたと聞く。そんな彼の頑張りを見て、僕もそれくらい変わらなくては、と思い、そう示せるよう必死だった。


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2009/06/02(火) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

3月、春は遠く

曇天が続き、気分が重い。でも気が晴れないのはそれだけではない。中間試験の結果だ。たかが試験、されど試験。結局、1~2月の遅れを取り戻すことができないまま、試験を終えてしまった。その結果は本当に素直なものだと思う。授業をきちんと理解して付いていった者は、それだけの結果を残し、そうでないものは・・・まぁそんな結果だ。

これはもう一度態勢を立て直さないとマズイ。このままでは、すぐに期末試験がやってきてしまうという不安を覚える。この危機感は一年を通して初めてのものであり、最初の試練だ。自分の勉強方法を見直すという意味で、成績上位の彼らにどのように勉強しているのかを聞いてみると、異なる点が2つあるように思えた。

一つ目は、彼ら彼女らが極めて授業内容に忠実だということだ。いや僕だって忠実なんだけどね。そう、彼らの多くは、授業で扱ったこと以外の内容に手を広げたり、同じ内容であっても他のテキストを参考にしたりしない、という傾向が強いと感じる。教授のレクチャーノートがあれば、それだけで勉強している。僕は昔から、基本テキストを読み終えたら、他の参考書ではどう言及されているかを知り、応用問題まで抑えておきたい、という意識が強くある。しかし、今回の結果で明らかになったのは、授業内容に対する明らかな理解不足だ。試験内容が難しかったかと聞かれれば、決してそんなことはないと言える。むしろ、授業に沿ったものだ。基本的内容をきちんと理解し、プラス少しばかりの応用力があれば十分に回答できるものだったのだ。残念ながら授業のその先を考えるのは、僕にはまだ準備が足りなかったようだ。上を見るあまり背伸びをし過ぎて、足元がお留守ですよ、という教訓なのだとしっかりと受け止めておきたい。

二つ目は、授業や宿題の回答で分からないことがあると、彼ら彼女らは積極的に教授に質問に行っている、ということだ。クラスメイトに聞けば済むかな、と僕だったら思ってしまうような内容であっても、聞きに行く。忙しそうにしている教授の研究室を訪れるのは、オフィスアワーであっても少しばかり勇気がいる。しかし彼らのそんな姿勢に、大事なことを気づかされたように思う。だいたい、「ここが分かりません」なんて率直に聞けるのは一年生のうちだ。二年、三年と学年が進むにつれ、当然だが基礎的なことはどんどん聞きづらくなる。だったら一年生の今のうちに聞いておこう。それができるのが特権だし、そうすべきなのだ。そうだそうだ、この勢いで研究室に行っちゃえ、GO! 

と、気分が重いのを隠しつつ、教授のところに行ってみる。すると何というか、想像していた以上にオープンマインドに話を聞いてくれ、それが何より有り難かった。そもそも、本当に聞きたいことというのは、宿題3の問題1(b)の解説が分かりません、などということではないのだ。いや確かにソレも分からないんだけど・・、それ以上に悩んでいるのは、曖昧模糊とした不安なのだ。この問題も分からないようじゃダメなんじゃないかという不安、自分のやり方/考え方が否定されたような不安、この先やっていけるのかという不安、そういったものが合わさって自分の中で、不安・不満・不信が膨れ上がっていたのだ。

教授と話す中で感じたのが、大学院生が抱えるこうした漠とした不安を、教授自身がよく理解しているということだ。それは自身の経験から認めているものかも知れないし、他の多くの大学院生を教え指導してきた経験から分かったものなのかも知れない。そしてこうした不安感やプレッシャーに押し潰されそうになり、自ら大学院を去る学生がそれなりの数いるということも、実感として理解できたように思う。Ph.D.の道のりは長く、次の不安やさらに大きな不信に直面することは容易に想像できる。そのときにセルフマネジメントできるかどうか、それが極めて重要だと思うに至った。そんな3月、春はまだ遠い。


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2009/05/30(土) | Class | トラックバック(0) | コメント(3)

2月、遅れと焦り

春学期開始からひと月も経つと、思うように勉強が進まないことに気づく。授業の理解が遅れ、課題に時間を取られ、何もかもが後手に回ってしまうのだ。これは先学期では感じなかったことであり、どう対応すればよいものかすぐには分からない。そんな風に悩んでいるうちにも土日は終わり、何も解決しないまま新たな週を迎えてしまう、そんな悪循環だ。

まずは英語だ。毎回の授業に備え、1~2本の論文を読んでおかねばならないのだが、これに時間がかかる。今までの読解スピードでは全然物足りなのだと痛感せざるを得なかった。要点だけでもさっと目を通すことができればよいのだが、それもできない。パラグラフで読んでいく、という鉄則は分かっていても、表音文字のアルファベットの固まりからは、その意味するところがすぐには伝わってこない。表意文字の漢字はやっぱり素晴らしい発明だよなあ。

英語は読むだけでなく、書くのにも苦労した。論文の内容をまとめてくるという課題には、毎回相当の時間を取られた。自分が持っている語彙とセンテンスは、こんなにも少ないのかと思わざるを得ない。文法として間違いでないからといって、同じ単語や構文を繰り返しては、「読ませる」エッセイにはならない。いくら内容がよくても、読み手が「読もう」「続きを読みたい」という気にならないと、その内容すら伝わらない。意外に感じるくらい教授が強調していたのが、この「読ませる」という点だった。「君たちの論文を好きで読む人はいない」。「論文のレフェリーでもその他読者でも、時間をとってわざわざ読んでもらおうと思うからには、『読ませる』文章を書きなさい」ということだった。はい・・・、頑張ります。

次に、授業や論文の内容を理解するのに時間がかかった。読むのに時間を取られた上、その内容がすっと入ってこないのだ。モデルの仮定、結論、意味について、「なるほど、そういうことか」に達するまで、うんうん唸りもんもん悩んだものだ。とくに先に書いたように、マクロ経済学のモデルでは、論文同士の関連が乏しいことが多い。そうなると、前に読んだ論文をもとに理解を進めるということができない。毎回新しい論文とモデルの設定から理解を始めないといけないのだ。楽じゃないぜ。

さらにはプログラミングだ。今学期のマクロ経済学、計量経済学の課題の一部には、プログラミングが含まれる。実際のデータを用いてモデルを検証したり、推定したりといった作業だ。僕はいまだにプログラミングが苦手だ。そんなこと言っていられないくらい、今やプログラミングのスキルは必須なのだが、いま一つ馴染めん。しかしクラスメイトの彼らは、プログラム書くのも早いねぇ。数学ができる学生の多くは、「美しい」数学を愛し、「醜い」データやプログラムを嫌う、ものかと思っていた。いやそんなことはなかった。できる人は両方できるものかと驚きと尊敬の念を抱いた。そうあらねばなりませんな。

いくつもの点で遅れをとった2月はツライ時期だった。英語やプログラミングのスキル不足がすぐに解消するはずもなく、徹夜を重ねながら、何とか授業や課題についていったのがこの時期だ。来学期になれば、今学期とは比べ物にならないくらい、もっと多くの論文を読み、早く理解し、大量のデータを回すことが要求される。その準備ができるのは、夏の間だけだな、と気持ちを新たにする。


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2009/05/28(木) | Class | トラックバック(0) | コメント(1)

1月、始まりはゆるりと

秋学期のスタートに比べると、この春学期のスタートはゆっくりとしたものであった。その原因はいくつかある。

まず第一に、留学生のクラスメイトの多くが、授業開始直前になってようやく母国から戻ってきた。明らかに実家で食べ過ぎただろ、というのが一目で分かるほどふっくらして帰ってきた彼もいれば、まだ時差ボケが直らないといった様子の、寝ぼけ眼の彼女もいる。それらが合わさって、クラス全体にのんびりとした空気を醸し出していた。

第二に、オバマの大統領就任式を前に、アメリカ全体に、一種のお祭り騒ぎとでも言えるような、浮かれたムードが漂っていたことが挙げられるだろう。テレビや新聞もそれに関連した報道ばかりが過熱していた時期だ。大学や授業と直接関係があるわけではないのだが、それでもこの世間の空気が大学にも流れ込んでいたことは否定できない。

第三に、この時期は教授陣も忙しい。ジョブマーケットがピークを迎え、どの大学でもプレゼン/面接が相次ぐ。有望なPh.D.を採用しようと、教授側も真剣だ。そのため、1年生の授業にばかり時間を割いているわけにはいかない。そんな事情もある。

そして何よりも、まずは秋学期を終えられたという、僕自身の安心感があった。その安心感は、この先やっていけるだろうという安堵感でもあった。授業や補講を合わせたトータルの時間割は、秋学期の方がキツかった。この春学期は時間的にも楽にこなせるはずだ、そう信じていた。しかし、何とかなるだろうという楽観的観測は、その後、ひょっとするとどうにもならないかも知れないという悲観に変わる。それは、これから2ヶ月後、中間試験の結果が返ってきたときだった。


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2009/05/20(水) | Class | トラックバック(0) | コメント(2)

今学期の学び

先学期の学びは、AssumptionImplication だった。この2つの視点から、経済モデルのエッセンスを学び、モデルの妥当性を検討した。経済学の基本的作法の事始め、といったところだろう。それに対し、今学期通しての学びは、同じく二言で表わすならば、Literature と Justification だ。これは今学期どの科目でも、相当数の論文を読み進めていったことによる。

Literature の日本語訳は、一般的には「文学」「文芸」となるが、アカデミックには「文献」「論文」を指す。そしてより集合的には、「既存研究」全体をも指す。しかし、この literature という言葉の響きには、「既存研究」や「先行論文」といった表層的な文言以上の、それこそ文学的な奥深さがあるように思うのだ。英語でも、previous research と言うとどうしても薄っぺらさが拭えないが、literature と言うときには、研究の蓄積とその歴史の重みに対する、畏敬の念が込められているように感じられる。経済学のモデルやコンセプトがこれまでどのように発展してきたかを、代表的な論文を通し、尊敬とともに学んでいったのが今学期だったと言えよう。

それでは、どのような論文が歴史に名を残すのか。それが、Justification だ。例えば、ゲーム理論の均衡概念や、計量経済学の推定量のように、理論の発展には常に新たなコンセプトが求められる。既存のコンセプトでは説明しにくい/できない事例が発見され、その解決策としていくつものコンセプトが提案される。しかし、「提案」を「定着」に変えるのは容易ではない。自分のコンセプトが他よりもうまく現象を説明できていると、説得できなくてはならないわけだ。それを正当化する(Justify)ことができなければ、残念ながらそのコンセプトは歴史に埋没することになる。

歴史の重みは同時に、歴史という壁の高さのように思える。研究の進捗はしばしば登山に例えられることが多いが、むしろこの歴史の壁をよじ登るという、ロック・クライミングの方が実感に合う。まず、この壁の高さに圧倒され、この壁を築いた先人たちを畏れる。そして次に、先人が打ち込んだくさびを頼りに、それをよじ登る。しかし、登りきったところがようやくスタート地点なのだ。

Literature に敬意を表しつつも、そこにある欠陥を見つけ、自分の手で Justification を進めていく。それが論文の価値であり、理論の発展に対する貢献であり、そして新たな歴史をつくるということなのだろう。そのための準備がまさにこの一年間だったわけだ。ロック・クライミングに必要な道具を揃え、使い方を学び、その危険性も認識した。先は長い。だけど、その先を見据えて一歩を踏み出す準備と心構えはできたように思う。次の一年は、一歩、二歩と、ゆっくりとでも確実に歩みを進めていきたい。

2009/05/18(月) | Class | トラックバック(0) | コメント(3)

1st Year を終えて

冬は終わり、春は過ぎ、まるでもう初夏のような陽気だ。
そして、1st Year のすべてを終えた。

「思い返せば、本当にあっという間の半年だった」と、先学期と全く同じ感想をもつ。一方で、異なる点も多々あった。

まず勉強面では、先学期に比べ質も量も一気に加速した。授業の進む速さ、カバーする広さと深さに、振り落とされそうにもなった。と同時に、学ぶ内容の豊かさに大きな刺激を受けた時期でもある。生活面では、少しずつ学外の友人・知人が増えてきたことがうれしい。地元の人たちの暮らしぶりや生活観、アメリカの未来に対する期待/失望、日本との接点や接し方等々、もっともっと知りたいところだ。

クラスメイト達は、試験が終わった翌々日くらいから次々と帰国していった。ひとり残された僕は、ゆっくりとまた今学期を振り返ってみようと思う。

2009年5月

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2009/05/16(土) | Class | トラックバック(0) | コメント(2)

再結集

2009年も一週間が経ち、クラスメイト達が続々と母国から戻って来たようだ。
美味しいもの食べて、友人・家族と語らい合って、休息も十分だろう。
エネルギー満タン、準備万端で新たな学期に臨むはずだ。

よし、張り切っていこうゼ!


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2009/01/07(水) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

12月、始まりの終わり

Final Exam は、ある意味では Midterm よりも簡単であり、別の意味ではより難しかったと言える。簡単というのは、問題が易しい、という意味では決してない。これまでの授業を通じて、教授が学生に期待すること、テストで求められる内容やレベルが分かったことで、対策が立てやすくなったという程度のことだ。それでも随分と落ち着いて準備でき、落ち着いて試験を受けることができた。

難しかった、というのは、4科目の試験日程が過密だったことと、カバーされる範囲がMidterm よりも断然広いことによるものだ。ただ、それは最初から分かっていたことなので、言い訳できませんが・・・。

そしてFinal も終わり、成績も出た。いい結果だったとは言えないな。ただ悪かったわけでもない。必死になってやってきて、素晴らしい結果が出たという分かりやすいストーリーでもなければ、全く歯が立たなかったという、これまた分かりやすいストーリーでもない。きっと僕はどこかでそんな「分かりやす過ぎる」くらいの物語を期待していたんだろうな。甘いなぁ、ジブン。

正直なところ、こんなものか、という気持ちだ。そして、その「こんなものか」はいくつかの意味を含む。自分に対しては、もっとやれたんじゃないだろうか、という残念さ、無念さ、チクショーという心の奥底での叫び。一方で、授業や教授に対しては、もっと高いレベル、集まった学生を蹴散らすくらいの内容が必要なんじゃないか、という思い。その相反する気持ちが僕の中で今も混ざり合っている。

いずれにしろ、これで 1st Year Fall Term は終了だ。
それを乗り越えたクラスメイト達は皆笑顔だ。やりきったという達成感もあれば、ようやく母国へ帰れるという安堵感もあるだろう。だが、果たして僕は、彼らと同じくらい笑っているだろうか。どうやらそんなことはなさそうだ。僕にはやり残したことがたくさんある。それは勉強面で吸収し切れなかったことがある、ということよりはむしろ、留学の目標にいくつかの修正を加える必要がある、ということだ。レベルを上げるとか下げるといった話ではなく、質的な面でここで何を学び吸収すべきか、そしてそのアウトプットの方向性をどこに設定するのか。考えるべきことは多い。この冬、日本に帰らないと決めておいて本当によかったと思う。そんなクリスマスを迎えている。


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2008/12/22(月) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

11月、休む間もなく

自分のペースを掴めるようになったのは、やはり Midterm が終わってからだろう。Midterm を経て自分にとって出来る部分と出来ない部分もよく分かったし、それを踏まえた勉強スタイルもようやく確立できたように思う。もちろん、出来ない部分に関しては、相当へこんだ。クラスの優等生と比べ、なぜ彼ら彼女らはあんなにも成績がいいのか、それに比べて僕は・・・、というやつだな。そのスタイルを真似てみようかなと思ったりもした。でも、比較するのはさっぱり止めたよ。

今はクラスの仲間たちを本当にすごい奴らなんだな、と純粋に尊敬できるし、そんなクラスメイトと一緒に勉強できることを幸せに感じられる。彼らと話す時間も増えたし、もっと深く話せるようになったと思う。そう、Midterm 前はなんというかお互い、腹の探り合いだったような気がするな。「こいつ、どれくらいデキル奴なんだ」といった思いをそれぞれが持っていて、自分が「デキナイ奴」の烙印を捺されないよう、びくびくしていた感じだ。

それが Midterm が終わってからはずいぶん変わった。僕自身も変わったし、クラスの雰囲気も変わったように思う。授業中には、とっても単純で、これまでなら皆恥ずかしがって聞けなかったような質問が、普通に出るようになった。授業で分からなかったところ、宿題で詰まっているところを、もっとお互い相談できるようになった。事実をきちんと受け止め自分の中で消化すること、その大切さを実感した11月だ。

こうして少し時間にもココロにも余裕が出てきたために、新しく始められたことがある。それは英語のトレーニング。今のレベルで言えば、とりあえず授業を聞くには困らないし、友達づきあいにも不自由はない。ただ、それはあくまで「日常生活」レベルだからだ。授業中に質問を連発できるわけではないし、教授の意見に再反論できるようなレベルにもない。きちんとしたプレゼンが出来るとも思わない。つまりアカデミックな「知的生活」を目指すには、圧倒的に力不足なのだ。

最初の一年を乗り切るだけなら今のままでも構わない。ただ、来年、再来年のことを考えるならば、ある程度の時間を割いてでも今から英語力を高めるトレーニングをしておきたいところだ。幸いにして、ネイティブスピーカーの学生を一人紹介してもらうことができた。彼女は日本語専攻の学部生。彼女が僕の英会話パートナーを努めてくれる代わりに、僕が彼女に日本語を教える。そんな形で英語の勉強も始まった。その成果や課題はまた別の機にまとめてみたい。

11月も終わりになると、Thanksgiving holiday に突入する。日本ではほとんど馴染みがないこの休暇だが、アメリカではクリスマス以上に大きな意味を持っていると初めて知る。クリスマスはクリスチャンのための祝日だが、Thanksgiving はアメリカに住む者皆にとっての祝日なのだそうだ。様々な人種が集まるこの国では、「メリークリスマス」という表現を誰もが口にするわけではない。でも、「ハッピーサンクスギビング!」とは、お互い何の気兼ねもなく、笑顔で伝えやすい。そんなところにアメリカの多民族・他宗教を改めて感じた。


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2008/12/22(月) | Class | トラックバック(0) | コメント(0)

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